キリスト教美術への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 17:13 UTC 版)
「シビュラの託宣」の記事における「キリスト教美術への影響」の解説
すでに述べたように、『シビュラの託宣』に基づいた古代の教父たちの言及によって、シビュラは聖書に登場する(男性の)預言者たちと並ぶ存在として位置付けられるようになっていた。しかし、15世紀以前にはシビュラが美術の題材として使われることはあまりなかった。 状況の変化は15世紀後半以降の印刷術の普及によってもたらされた。ラクタンティウスの『神学綱要』が1465年に早くも印刷物として公刊され、アウグスティヌスやヒエロニュムスを論じたフィリッポ・バルビエーリの著書(1481年)でも12人のシビュラが描かれて、『シビュラの託宣』の延長線上にあるシビュラのイメージが広められたのである。これらにより、本来異教的なシビュラがキリスト教美術のモチーフとして受容され、教会建築物の壁画や天井画、ステンドグラスなど様々な絵画、彫刻などに表現されるようになった。 シエナ大聖堂の舗床には10人のシビュラが描かれ、彼女たちにはラクタンティウスの著書から引用された碑銘が添えられた。ほかに、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂に描いた天井画の12人の預言者とシビュラは、預言者に対置される女性預言者としてのシビュラを描いていることで有名である。 ラファエロがサンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会に描いたフレスコ画 左に同じ フィリッピーノ・リッピがカラファ礼拝堂の天井に描いたデルポイのシビュラ ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂天井画に描いたエリュトライのシビュラ 同じくミケランジェロによるデルポイのシビュラ オルヴィエート大聖堂に残るリビアのシビュラ(1588年) オーシュの大聖堂に残るシビュラを描いたステンドグラス
※この「キリスト教美術への影響」の解説は、「シビュラの託宣」の解説の一部です。
「キリスト教美術への影響」を含む「シビュラの託宣」の記事については、「シビュラの託宣」の概要を参照ください。
- キリスト教美術への影響のページへのリンク