カルマの支配
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ジャイナ教では、カルマの結果は間違いなく確かであり、逃れることはできない。神の恩寵によって人間がカルマの結果を受けずに済むということはない。苦行や自制の実践だけがカルマの結果を調整・緩和することができる。それでも、平静にカルマを受け入れる以外に選択の余地はない。2世紀のジャイナ経典『バガヴァティー・アーラーダナー』(Bhagavatī Ārādhanā、verse no. 1616)でジャイナ教の教義におけるカルマの支配が要約されている: 「世界にカルマよりも強い者はいない。カルマはゾウがハスを踏みつけにするようにあらゆる勢力を踏みつける。」 こういったカルマの支配はジャイナ教の僧侶たちが初期からしばしばその著作の中で探究してきた主題である。ポール・ドゥンダスは、僧侶たちがしばしば教訓的な話によって道徳的に正しくない生活形態にたいするカルマの完全な含蓄や極端に激しい感情の関係を示したと述べている。しかし、そういった物語はしばしば、主人公が信心深い行動によってカルマの結果を変え、徐々に解脱へ近づいていくというように結末が優しいものにされたとも彼は述べている。 ジャイナ教版のラーマーヤナやマハーバーラタの中では、ラーマ(Rāma)やクリシュナ(Kṛṣṇa)といった伝説的な人物の功績の伝記もカルマを重要なテーマの一つとして扱っている。主な事件、登場人物、状況がその人物の人生で次に起こることを決定する特に激しい行動を例示しつつその人物の以前の生活に言及することで説明される。。24人目のティールタンカラ(浅瀬を作る者)であるマハーヴィーラもケーヴァラ・ジュニャーナ(悟り)に達する前にどのように以前のカルマの矛先に耐え忍んだのかがジャイナ経典で語られている。マハーヴィーラは出家して12年間厳しい苦行に耐えただけでケーヴァラ・ジュニャーナに達した。アーチャーランガ・スートラ(Ācāranga Sūtra)ではマハーヴィーラがいかに完全に平静を保ってカルマに耐えたかが記されている 彼は棒、拳、槍で打たれ、果物、土くれ、陶片をぶつけられた。彼を何度も打ちのめして大勢の人が罵声を上げた。彼が一たび腰を下ろして動かなくなると、大勢の人たちが彼の体を切りつけ、痛々しく髪を引き裂き、ごみをかけた。彼が宗教的な思索にふけっているときに彼を持ち上げては落とし、あるいは振り回した。尊者は体の世話をすることをやめ、心を謙虚にして痛みに耐え、欲望から解放される。戦闘の先頭で英雄が周囲を囲まれるのと同じように、マハーヴィーラも囲まれている。あらゆる苦難を被っても尊者は心をかき乱されることなくニルヴァーナへの道を突き進む。 —Ācāranga Sūtra 8–356:60
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