カラヤン以後
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1989年7月16日、この年の音楽祭ではヴェルディの「仮面舞踏会」を指揮する予定だったカラヤンは自宅で急死した。「仮面舞踏会」の指揮はゲオルク・ショルティ(1937年のトスカニーニ指揮の「魔笛」でグロッケンシュピールを演奏)とグスタフ・クーンに代わった。1991年はモーツァルト没後200年記念として、演目は彼の主だった歌劇で占められた。1992年にジェラール・モルティエが芸術監督となり、演目をより現代的に改革することとなる。改革は片方では若手演奏家、演出家の大胆な起用もあり一応の成功を見たものの、もう片方では超保守的なリッカルド・ムーティ(1971年初出演)のように「モルティエが総監督でいる限りザルツブルク音楽祭でオペラの指揮はしない」と絶縁を宣言する音楽家も出す結果となった。この時代の新顔としては、ロジャー・ノリントン、ニコラウス・アーノンクール、ヴァレリー・ゲルギエフ、ピエール・ブーレーズらがいる。また、1998年には60年ぶりに上演されるワーグナーの楽劇として、「パルジファル」が上演された(ゲルギエフ指揮)。 2000年にはスケジュールミスによるアバドの降板騒動や、政治問題からのモルティエ辞任騒動が沸き起こった。2002年に芸術監督がペーター・ルジツカへとバトンタッチ。彼はプロデューサーとしては一定の成功を収めた一方で、演出上やその他下世話的なスキャンダルや噂にも見舞われた。ルジツカはまた、戦前にはナチから「退廃音楽」の烙印を押された楽曲にスポットを当てたり、モーツァルト生誕250年の2006年に向けたモーツァルトの歌劇の新演出上演を邁進した。2006年秋からは、これまで演劇部門の監督であった演出家のユルゲン・フリムが芸術監督に、現代音楽専門のピアニストのマルクス・ヒンターホイザーが音楽監督に就任した。 2008年4月に、事実上最初の海外公演となる日本への引越し公演が実施される予定であり、愛知県芸術劇場とフェスティバルホール(第50回大阪国際フェスティバル公演)、東京文化会館で計4公演が行われる。演目はクラウス・グート演出による「フィガロの結婚」(2006年・2007年度上演)。指揮は、モーツァルトイヤーの2006年度に「シピオーネの夢」を上演を指揮したロビン・ティチアーティ(1983年ロンドン生まれ)が担当する。管弦楽はイギリスの古楽器オーケストラであるエイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団、合唱はウィーン国立歌劇場合唱団、ウィーン楽友協会合唱団、アーノルド・シェーンベルク合唱団の混成チームが担当する。 脚注 ^ 演出上の騒ぎとしては、2003年に上演された「後宮からの誘拐」の演出で、全裸のカップルが冒頭から登場し、初日は大ブーイングの末上演が途中で打ち切られた。一方の下世話騒ぎの類としては、カルロス・クライバーやアンナ・ネトレプコなど有名音楽家の出演情報次第で、公演に対する盛り上がり方が異常なほどに上下した(クライバーに関しては、「ばらの騎士」の指揮を執るようルジツカが鋭意交渉中」という尾ひれがついた。いずれにせよ、クライバーの死によってこの話題は打ち切られた。ネトレプコに関しても、タレントとしても活躍している彼女が出演すること自体が最大の呼び物となり、出演した「椿姫」や「フィガロの結婚」のチケットに異常なプレミアがつくほどの人気だった)。こういった騒ぎはルジツカ体制特有のものではないが、芸能界のスキャンダルっぽい騒ぎが起こるのは、ここ最近の話である。
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