カラモジャ紛争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/12 00:01 UTC 版)
乾燥地帯の放牧民は半戦士であり、家畜の略奪は日常行為であり、時折小規模な戦争が起った。武器の流入により、放牧民が槍から銃に持ち替えられ、戦争の被害が拡大した。ウガンダ・ケニア両政府が問題視し、ウガンダ政府などによる武装解除が行われたが、実施に際し暴動が起きた。 2006年には米のInner City Pressとウガンダ紙New Visionが国連開発計画の武装解除計画に伴いウガンダ人民防衛軍 (UPDF) と地域防衛部隊 (LDU) が人権侵害を行っていると報じた。ウガンダ政府は武装解除に伴う「戦士」との衝突だと主張したが、LDUへの強制徴用や少女を含む住民の殺害などが報じられた。軍はマニャテ(放牧民の家或は村)に武器があると疑いをかけると老人やこどもだろうが構わずに重火器で攻撃を加えた。回収された武器は破壊される筈であったが、ウガンダ当局により没収された。
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