オバマ上院議員のスタッフとして
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「ピート・ラウス」の記事における「オバマ上院議員のスタッフとして」の解説
2004年11月の連邦議会選挙においてダシュルが落選した後、ラウスは当初引退を計画していた。しかし同月、リチャード・ゲッパート下院議員のスタッフなどを務めていたカサンドラ・ブッツ(英語版)(のちにオバマ政権下で、大統領次席法律顧問やミレニアム・チャレンジ・アカウント(英語版)計画最高責任者付上級顧問を歴任)から、当時イリノイ州から上院選に出馬・当選を果たしたばかりであったバラク・オバマを紹介される。ブッツとオバマはハーバード・ロー・スクール時代の同窓生・友人であり、彼女の仲介でオバマと面会したラウスは、オバマ本人から直接説得されたこともあり彼の下で働くことを決断、首席補佐官に就任した。 首席補佐官に就任した当初、ラウスの主な仕事はその連邦議会での豊富な経験・知識を活かし、新人上院議員であったオバマに上院における政治の「いろは」を教えサポートすることだった。オバマの上院議員1年目には、同僚のデイヴィッド・アクセルロッドやロバート・ギブズと共に「戦略計画(「ザ・ストラテジック・プラン」,“The Strategic Plan”)」というメモを作成し、上院議員としてどう活動していくべきかをまとめた指針とした。このメモは、後にオバマと2008年の大統領選挙で民主党指名候補の座をめぐって争うことになるヒラリー・ローダム・クリントンが上院議員に就任する際に取り入れた指針を参考にしたものである。 この指針をもとにオバマは議員活動を進めていき、ラウスもそれをサポートしていくこととなる。上院議員在任中のオバマの立法活動や投票行動については、前述の指針も含め、ラウスの助言・アドバイスに依るところが大きいとされる。 例えばオバマは、国民が政府の歳出状況について簡単に調べることができるグーグル型の検索エンジン・データベースを構築する法案を、共和党保守派のトム・コバーン(英語版)上院議員(オクラホマ州選出)と共同で提出・成立させたり、当時の上院外交委員会委員長で、共和党穏健派の重鎮でもあるリチャード・ルーガー(英語版)上院議員(インディアナ州選出)とは、ソビエト連邦の崩壊などの際に所在不明となった旧ソ連の対空ミサイルなどの兵器を発見・処分する活動への資金援助増額案など兵器不拡散問題において連携しているが、これらの行動はラウスの共和党議員との連携を強化するべきとの助言に基づくものとされる。 また、身内である民主党議員とは極力対立を避け連携を深める方向性をとっており、その例として、2007年1月に成立した上院政治倫理改革法案の成立過程での動きが挙げられる。倫理規制の強化は、民主・共和の党の別を問わず多くの上院議員たちにとっては非常にシビアな問題であったため、相当の抵抗・反発が予想された。このため、リード院内総務を筆頭とする上院民主党指導部は、マコーネル院内総務ら共和党指導部と協議を重ねた上で、超党派的な賛成を得やすいやや緩やかな内容の法案をリード院内総務自らが提出・成立を図ることを目指していた。しかし、政治倫理改革を強力に進めたいと考えていたオバマは、当初ロバート・ギブズに強く勧められたこともあり、「法案の内容が弱すぎる。」として反対しようと考えていたが、一方でラウスは「このような政治的に微妙な問題で、いたずらに他の議員を刺激することは得策ではない。」と考えており、この立場からオバマにアドバイスを与えた。このラウスのアドバイスもあり、最終的にオバマは上院民主党指導部、特にリード院内総務とあからさまに対立・批判することを避け、同調するラス・ファインゴールド上院議員(ウィスコンシン州選出)とともに多数の修正条項を盛り込むという方策をとった。
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