エースドライバーとしてフットワークへ移籍とは? わかりやすく解説

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エースドライバーとしてフットワークへ移籍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 15:27 UTC 版)

鈴木亜久里」の記事における「エースドライバーとしてフットワークへ移籍」の解説

1992年亜久里はかつてF3000時代スポンサーだった縁から、アロウズ買収したフットワークチームに移籍オーナー日本人大橋渡、エンジン日本無限ホンダという、事実上亜久里エースドライバーとするアグリズチームといえ、それまでよりも遥かに安定した力を持つチームからの参戦が可能となった前年1ポイント獲得したこともあり、課せられていた予備予選亜久里免除された(チームメートのアルボレートが予備予選から出走した)。 ホンダV10ベースとする無限エンジン積んだフットワークマシン期待集まったが、92年シーズン最高位スペインGPの7位、入賞はおろか完走すらおぼつかないと言う結果に終わる。シーズン前半には「コクピット狭く自身ドライビングポジション取れない」旨を繰り返し訴えてはいたが、この点を改良したシャーシ投入後亜久里精彩欠いていた。 1993年シーズン途中マクラーレン製のアクティブサスペンション購入してから、マシンバランスに起因するハンドリング不良打ち消すことに成功予選トップ10常連となる。特にベルギーGPでは当時日本人予選最高位タイの6番手初日5位)に入り90年鈴鹿での表彰台再来大い期待された。しかし、FA14はギアボックストラブル多く第9戦イギリスGPから第15日本GPまで7戦連続リタイア喫してしまい、最終戦オーストラリアでも7位に終わってしまった。 結局フットワーク時代2年間は、表彰台はおろか入賞さえもできずに終わってしまう。チームメイト迎えたミケーレ・アルボレート(92年)とディレック・ワーウィック(93年)の両ベテランドライバーが、老練な走りにて着実にポイント獲得したこともあり(特に92年のアルボレートは11連続完走し、そのシーズン最も決勝レースにて周回数を稼いだ)、亜久里自身ドライバーとして評価微妙なものとなってしまった。 チームオーナー大橋渡が計画したチーム監督ジャッキー・オリバー更迭失敗による確執や、フットワーク本体経営不振に伴うチーム運営からの撤退亜久里自身成績もあり、(亜久里自身は「チームとしては運営継続されるのだから移籍はしない」とは話していたが)1993年シーズンオフにはとうとうフットワーク(アロウズ)のシート失ってしまう。無限ホンダエンジンを搭載することとなったロータスへの移籍画策する合意には至らず結局1994年シート得られないまま浪人することとなってしまった。

※この「エースドライバーとしてフットワークへ移籍」の解説は、「鈴木亜久里」の解説の一部です。
「エースドライバーとしてフットワークへ移籍」を含む「鈴木亜久里」の記事については、「鈴木亜久里」の概要を参照ください。

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