ウィキペディア英語版の自身に関する項目の編集
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 21:45 UTC 版)
「ジミー・ウェールズ」の記事における「ウィキペディア英語版の自身に関する項目の編集」の解説
2005年、ウェールズは英語版ウィキペディアの自分の伝記項目の編集を行った。これに関して作家・出版社経営者のロジャース・キャデンヘッド (Rogers Cadenhead)は、ウェールズの編集はウィキペディア共同設立者としてラリー・サンガーの名が言及されていたのを除去したものであったことを示すログを示し、注目されることとなった。サンガーは「このような編集をみると、ジミーが歴史を書き換えようとしているように思える。しかしこんなやり方はむなしい。我々は、活動の透明性と最大限のコミュニケーションによって真実の隠しようがなくなる世界に到達しようとしているのだから」と語っている。また、ウェールズはBomisへの言及に関しても改変を行ったことが判明した。これは同社の製品が性的なものであるということを婉曲な表現に書き換えるものであった。2006年7月31日の『ニューヨーカー』誌はこの出来事を詳しく扱っている。この中で「(ウェールズは)去年の一年間で18回、自分のエントリーを書き換えまくっていたのを見つけられた」とし、「(彼は)自分のウェブ・ポータルでのポルノのやりとりが指摘されることを気にしている」と書いている。 ウェールズは、いずれの場合も、改変は内容の正確性を改善するためであったと述べ、ウィキペディアでは一般的に慎むべき行為とされる“自分に関する記載の編集”を行ったことについて謝罪した。『WIRED』のインタビューでは、「私も含めて、これはやるべきではない。やらなければよかった」と述べている。 またウェールズは英語版ウィキペディアの自分の項目およびウィキメディア財団のウェブサイトにおいて、自分の誕生日を1966年8月7日とする編集を行い、2006年には「私の誕生日は1966年8月8日ではない」との発言も行った。『ブリタニカ百科事典』および、同時代の人物の伝記事項を扱う米国の月刊誌Current Biography、さらに米国の著名人紳士録『Marquis Who's Who』には8月7日と記載されている。2007年6月に『ブリタニカ百科事典』のウェブサイトに掲載された研究者の報告によれば、ウェールズは同百科事典に対して「1966年8月7日」の記載は誤りであるが、この記載が削除されない限り資料とともに正確な日付を伝える気はない、と通告してきた。この要求は『ブリタニカ百科事典』の方針にそぐわないものであったため、ブリタニカはウェールズの誕生日を8月7日とした。その後2011年にウェールズが自らのパスポートのスキャン画像を示して誕生日は8月8日だと主張したため、同百科事典はウェールズの誕生日を注釈付きで8月8日に修正した。2007年7月27日には、『The Oregonian』紙のリポーター、マイク・ロゴウェイ (Mike Rogoway)に誕生日について問われ、これに対しウェールズは「誰も知らない」とはぐらかした、とされている。ロゴウェイは自身のブログにおいて、フロリダ州の公式記録によれば、ウェールズの運転免許証には生年月日が1966年8月8日と記載されている、と指摘した。2007年8月、ウェールズはこのことについて自身のWikipedia会話ページで詳説し、この中で「いかなる出来事についても、『The Oregonian』での発言が正解である」と述べている。 2018年、アメリカ公共ラジオ局NPRのポッドキャストプログラム『How I Built This(英語版)』のインタビューではウェールズ本人からの言及はなかったが、ウェールズは1966年8月7日から8日にかけての「真夜中のちょっと前」に生まれたものの出生証明書に記載されたのは8日で、7日生まれを証明する公的書類はなく、証拠は母親の証言だけだとインタビュアーのガイ・ラズ(英語版)によって説明された。
※この「ウィキペディア英語版の自身に関する項目の編集」の解説は、「ジミー・ウェールズ」の解説の一部です。
「ウィキペディア英語版の自身に関する項目の編集」を含む「ジミー・ウェールズ」の記事については、「ジミー・ウェールズ」の概要を参照ください。
- ウィキペディア英語版の自身に関する項目の編集のページへのリンク