ウィキペディア批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 22:35 UTC 版)
「アンドリュー・オーロウスキー」の記事における「ウィキペディア批判」の解説
2001年にウィキペディアのプロジェクトが発表されて以来、これに言及することは幾度かあったが、最初に批判を行ったのは2004年の半ば、『ザ・レジスター』紙上でのことである。当初は単に揶揄したものに過ぎず、読者からのEメールに応答しつつ、以降の彼のリポートに頻出することになるウィキペディアの不正確さというテーマについて『ウィキペテン師』("wiki-fiddler")という造語を用いて批判したものだった。オーロウスキーによれば、ウィキペディアは「何かのファンがトリビアを詰め込むための穴蔵、趣味、マルチ・プレイヤー・ゲーム」であり、その記事は「時たま見かける許容範囲のものから、しばしば目にする笑えるものまで様々だが、一番重要な読みやすさという点では劣悪で、さらに悪化し続けている」。2005年12月までにこうした記事が毎週掲載された。この中には、ウィキペディアの共同設立者のひとりジミー・ウェールズを了簡の狭い偽善者でありポルノグラファーであると述べたものや、平均的なウィキペディアンは反抗期の子供 - 「ニキビ面で反権力に燃える14歳の彼らは、インターネットで百科事典を手に入れたのだ」 - であるとしたもの、あるいは「ジミー・ウェールズが狙撃された」といういたずら記事も含まれていた。 オーロウスキーは、ウィキペディアは十分に統制されておらず、この結果劣悪さを呈しておりモラルにとって有害で、不要である - 近い将来にはインターネットに「(公立図書館等の)貴重なデータベース」が一般公開され、そして潤沢な資金をもつ企業によってウィキペディアに代わる「もっと魅力的な」ものが提供される - という認識を示している。2006年4月、オーロウスキーは『ザ・ガーディアン』紙にこのテーマについて長文の寄稿をした。 オーロウスキーは、ジミー・ウェールズをはじめとするウィキメディア財団メンバーの行動・発言やウィキペディアのさまざまな問題を批評するウェブサイト『Wikitruth』をはじめてメディアに取り上げたジャーナリストである(2006年4月13日の『ザ・ガーディアン』紙上)。
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