ウァレンティヌスによるキリスト教グノーシス主義
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「魂 (キリスト教)」の記事における「ウァレンティヌスによるキリスト教グノーシス主義」の解説
キリスト教の初期、グノーシス派キリスト教徒のウァレンティヌスは、その他多数の「永遠の知恵」との調和という、神秘主義的な異説を提唱した。ヴァレンティヌスは、人間を体(ソーマ)、魂(プシュケー)、霊(プネウマ)の三重からなる実体と想定した。同様の区分は聖パウロのテサロニケの信徒への手紙一にも見られるが、ウァレンティヌスはこれをより強化させ、すべての人間は半ば休眠中にある「霊的種子(スペルマ・プネウマティケー)」を所有しており、キリスト教徒としての霊的発展の中で、霊によりすべての種子は結合され、キリストの天使と等しい存在となる事が可能であると考えた。 ウァレンティヌスの述べる霊的種子は、ヴェーダーンタ哲学の「ジーヴァ」、イスラム教スーフィズムの「ルー」、その他の伝統宗教における魂の閃きと同一の物であることは明白である。そしてキリストの天使は、現代のトランスパーソナル心理学における「より高度な自己(ハイヤー・セルフ)」や、ヴェーダーンタ哲学の「アートマン」、と同一である。ウァレンティヌスによれば、キリストの天使よりの光線である霊的種子は、その淵源に回帰する。この回帰が真の復活である(ウァレンティヌス自身は、著書『真理の福音』でこう述べている。「最初に死に次に復活すると言う人々は間違っている。生きている間に復活を受けない者は、一度死んだならば何も受けないだろう」)。 ウァレンティヌスの生命観では、我々の肉体は塵に帰り、魂の閃きすなわちグノーシス主義の言うところの霊的種子は、より高度な自己/キリストの天使と正しき魂に結合され、心理的機能や個性を担持する存在(感情、記憶、合理的な才能、想像力等)は残存するだろうが、プレーローマすなわち充足(キリストの天使としての復活を果たしたすべての種子が回帰する源)には至らないであろう。魂はプシュケーの世界である「中位の場所」に留まる。 やがて無数の浄罪の後に、魂は「霊的な肉」すなわち復活後の体を与えられる。この区分はやや当惑させられるが、ネシャマ(精神)がその不変不滅の淵源に向かうが、果たされることなく下位の世界に追いやられるという点で、カバラ思想と似ていないこともない。同様にウァレンティヌスによれば、完全なる復活はキリスト教世界観での世の終わりの後にのみ達成され、霊的な肉を獲得し変容した魂が、最終的に 個々のキリストの天使への完全な結合を果たす時に、魂はプレーローマに存在する。これが、ウァレンティヌスの言う最後の救済である。
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