ウァレンティニアヌス3世暗殺とマクシムスの即位
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「ペトロニウス・マクシムス」の記事における「ウァレンティニアヌス3世暗殺とマクシムスの即位」の解説
歴史家アンティオキアのヨハネス(英語版)の記述によれば、マクシムスはアエティウスを粛清するよう皇帝ウァレンティニアヌス3世を唆し、その結果、皇帝自らの手によってアエティウスが殺害されたという。 ヨハネスの年代記によれば、ある日、皇帝ウァレンティニアヌス3世とマクシムスが賭博を行いマクシムスが負け、手持ちの金がなかった彼は指輪を担保として取られた。ウァレンティニアヌス3世はかねてからマクシムスの美人で貞淑な妻ルキニアに懸想しており、この指輪を使ってルキニアを宮廷に呼び出した。夫の呼び出しを受けたと信じて疑わなかったルキニアだが、そこはウァレンティニアヌス3世の寝室だった。皇帝の誘惑を頑なに拒んだ彼女だが、皇帝は彼女の衣を脱がせて犯してしまった。夫が皇帝に自分を売ったと信じた彼女は帰宅すると彼の裏切りを激しく非難した。マクシムスは復讐を誓うと同時に人々から憎まれていた、この卑しむべき仇に取って代わる野心を抱いた。 アンティオキアのヨハネスの年代記によれば、マクシムスはマギステル・ミリトゥム(軍務長官)のアエティウス将軍が生きている限り復讐は実現できないと考え、彼を除くことにした。そのため、彼はウァレンティニアヌス3世の宦官である侍従長 (英語版) のヘラクレイオス(英語版)と共謀した。皇帝への影響力を強めることを望んでいたヘラクレイオスはアエティウスと長い間対立していた。二人はウァレンティニアヌス3世に対し、アエティウスが彼を暗殺して自らが皇帝になろうとしていると吹き込み、彼を抹殺するよう説得した。454年9月21日、ウァレンティニアヌス3世はアエティウスとの会合の席において、ヘラクレイオスの助けを受けてアエティウスを自らの手で刺殺した。 アエティウスが殺されるとマクシムスはウァレンティニアヌス3世に対してアエティウスの役職だった軍務長官職に就けてくれるよう頼むが、皇帝はこの望みを拒否した。これはヘラクレイオスが何者にもアエティウスが有していた権力を与えてはならないと皇帝に助言していたためであり、アンティオキアのヨハネスによれば、マクシムスはウァレンティニアヌス3世の拒否に苛立ち、彼を暗殺すると決めたという。彼はスキタイ族のオプティリヤとトラウスティラを共犯者に選び、彼らはアエティウスの元部下であり、将軍の死後はウァレンティニアヌス3世の護衛を務めていた。 マクシムスはウァレンティニアヌス3世がアエティウス殺害の首謀者であり、二人は元上官の仇を討たねばならないと説得し、さらに報酬も約束した。455年3月16日、ローマに滞在していたウァレンティニアヌス3世はオプティリヤとトラウスティラそしてその部下たちを護衛に従えてカンプス・マルティウスを訪れた。皇帝が弓射の訓練のために下馬するとオプティリヤと部下たちが近寄り、神殿内で彼を刺した。ウァレンティニアヌス3世が暴漢を見ようと振り返ったところでオプティリヤが止めを刺した。同時にトラウスティラがヘラクレイオスを殺害した。二人のスキタイ人は帝冠と紫衣を剥ぎ取り、マクシムスに送り届けた。 ウァレンティニアヌス3世の突然のむごたらしい死により、西ローマ帝国は明確な皇帝後継者が存在しない状態となり、皇帝官僚や軍隊は幾つかの党派に分かれておのおの皇帝候補を推した。とりわけ軍隊は三派に分かれた。一人目がアエティウスの元護衛隊長(英語版)だったマクシミアヌスで、彼はローマで資産家となったエジプト人商人ドミィノスの子であった。二人目が後に皇帝となるマヨリアヌスであり、彼はアエティウスの没後に軍隊の指揮を執り、皇后リキニア・エウドクシアの支持を受けていた。そして三人目がマクシムスであり、元老院の支持を取り付けていた。結局、この競争に勝ったのはマクシムスで、3月17日に即位し、帝位を確保するために廷臣たちに金をばらまいた。
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