イメージづくり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 08:27 UTC 版)
計画の設計は、日本設計が行い、オランダ村の設計も手がけた池田武邦が再び行なった。オランダ400年の国づくりに学びながら、現在の時代を先取りする環境都市となっていく生活ストーリーを作り、「人と自然が共存する新しい街」「自然の息づかいを肌で感じることのできる新しい空間」を目指してつくられた。ユトレヒト地区を最古の市街部に見立て、ビネンスタッド、ニュースタッドと入園口方向へと新しく都市が広がっていく形の構造となっている。各地区毎にオランダの文化と豊かな自然が息づかせ、ハウステンボスで生活する人々や訪れる人々につかの間の余暇と、本格的な充実したリゾートライフを提供することを目指している。どの地区でも、施設や街の紋章までもがオランダ政府の協力や助言のもとにオランダに実在する建物を忠実に再現する方法で造られており、建物に付属の石像もオランダの文化財修復家が製作に当たっている。車道はピンコロの石畳とし、歩道や横断歩道にまで様々な色彩のレンガが使われた。このようなレンガ基調の街並に、ウッドデッキなど木材を配して落ち着ける空間を提供し、さらに、そこに植物を植え込んで充足感を抱けるように工夫されている。特に最奥部に建てられたパレスハウステンボスは、オランダ王室の宮殿を写したもので、王室の許しを得て忠実な再現が行われている。宮殿最上部に置かれた王冠は、オランダの企業グループより贈呈を受けたもので、日蘭両国の友好の象徴である。このパレスハウステンボス宮殿は、庭園の設定にも、これからの友好関係の発展を願う、希望を込めたストーリーが隠されている。 町名としては、1991年(平成3年)6月16日に「佐世保市ハウステンボス町(まち)」に変更された。施設の側を通る県道にも長崎県道141号ハウステンボス線の名称が付されている。 なお、母体となった長崎オランダ村は、2001年10月まで西彼町の元の場所でしばらく営業を続けていたが、閉園後、2003年に西彼町に売却された。現在、西彼町は、町村合併によって西海市になっている。オランダ村跡地はハウステンボスの南方、27kmの所に現存している。2010年5月より施設の一部が西海市西彼支所として活用されている。
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