イスラム教における死刑とは? わかりやすく解説

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イスラム教における死刑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/09 06:54 UTC 版)

イスラム教における死刑(いすらむきょうにおけるしけい)は、伝統的にシャリーア(イスラム法)によって規定されている死刑、または死刑制度のことを指す。これらの規定はクルアーンハディース文献、そしてスンナ(預言者ムハンマドの言行や生活習慣の記録)に由来している[1]。シャリーアに基づく死刑はイスラム教徒が多数を占める国々で実施されている。

死刑判決を受ける可能性のある犯罪

ハディースとクルアーンの両方において、死刑が正当な刑罰とされる特定の犯罪が言及されている。死刑判決を受ける可能性がある犯罪については、殺人ズィナー(イスラム教における結婚外での性行為強姦結婚前性行為売春、同性間の性行為など)及び肛門性交のこと)などがある[2]。またスンナ派フィクフ(イスラーム法学)およびシーア派の法学においても、特定の種類の犯罪に対しては死刑が義務づけられている場合もある。

キサース刑(イスラム教における同害報復刑

キサース(قصاص)とは、シャリーアにおいて死刑が許可される刑罰の一つであり、死刑が適用される可能性のあるキサースは故意の殺人である[3]。殺人があった場合、加害者が成人で知的に成熟しており、被害者と同等の身分である場合[4]、シャリーアは、裁判所の承認があれば、遺族に対して加害者の命を奪う権利を認めているが、遺族が許した場合、死刑が実行されることはない[3][5]

ハッド刑(固定刑)

ハッド刑とは、シャリーアにおいてクルアーンに明記された(と法学者により解釈されている)刑罰である。ハッド刑が適用される可能性のある犯罪はアッラー)のハッド(境界)を犯すものであり、重大な犯罪と見なされる。山賊行為(追い剥ぎ)、棄教などの一部のハッド刑はアッラーに対する罪とみなされ死刑が求められる[6]

アッラーとその使徒に戦いをしかけ、地上で腐敗を働くこと[7]に奔走する者たちの応報は、殺されるか、(死刑の上に)磔にされるか、またはその手足を交互に切断されるか、あるいはその土地から追放されることに外ならない。それは、現世における彼らへの屈辱である。そして来世においては彼らに、この上ない懲罰があるのだ。但し、あなた方が召し捕る前に悔悟した者たちは別である。ならば(信仰者たちよ)、アッラーが赦し深いお方、慈愛深いお方であることを知るがよい。 —  クルアーン食卓章33-34節[8]

ディヤ

ディヤとは、シャリーアにおいて、殺人犯や傷害犯が裁判を回避するために遺族に支払う刑罰としての賠償金のことである[3]。この制度に対しては、貧しい加害者は裁判を受けて、死刑に処される可能性がある一方で、裕福な加害者はキサース(報復権)に基づく賠償金を支払うことで裁判を受けることさえ免れてしまうという懸念が提起されている。また2012年パキスタンで起きたシャーゼブ・カーン殺害事件英語版は、この問題に特に注目を集めるきっかけとなった[9]

現代における死刑

イスラム国家は世界の死刑執行の割合の多くを占めている。2021年にアムネスティ・インターナショナルが報告したレポートによると記録された2020年に執行された処刑のうち88%はイランエジプトイラクサウジアラビアのいずれかの国で執行された[10]。同団体は世界で一番処刑が執行されている国は中国であるとしているが、中国では統計が公表されていないために、この割合の中に中国で執行されたものは含まれていない[10]

サウジアラビア、パキスタン、イランなどのいくつかのイスラム国家ではキサースとハッド刑による死刑が法制度の一部として組み込まれている。また死刑判決が宣告される可能性はあるものの、何十年にも渡って死刑が執行されていないイスラム国家も存在する。アルジェリアチュニジアもその一つの国であったのにも関わらず、近年になって死刑復活の動きが出てきつつある[11][12]

処刑方法

シャリーアでは公衆の面前での石打ち刑や斬首刑が処刑方法として認められており[13][14]、現在でもサウジアラビア、イエメンカタール、イラン、モーリタニアなどの国で法律として施行されている。しかし、石打ち刑や斬首刑は残酷な処刑方法として物議を醸しており、石打ちに関しては長い間施行されていない[15][16]

石打ち刑は以下のようなハディースにも見られる:

ウバーダ・ビン・サーミトはアッラーの使徒が次のように語ったとして伝えている

私から(教えを)受け取りなさい。私から(教えを)受け取りなさい。 確かに、アッラーは彼女達に道をお定めになった。

未婚者どうしが私通を行なった場合は、100回の鞭打ちの刑の後、一年間の追放となる。しかし、既婚者どうしが姦通を行なった場合は、100回の鞭打ちの刑の後、石打ちの死刑となる。 —  サヒーフ・ムスリム 刑罰の書 姦通の刑罰 [17]

イスラム教における斬首刑

斬首刑は近代以前までシャリーアにおける一般的な処刑方法だった。また、絞首刑と並んでオスマン帝国における一般的な処刑方法のひとつでもあった[18][19]。極刑としての斬首刑は20世紀までイスラム国家、非イスラム国家に関わらず、よく執行されていた。適切に執行すれば、人道的で良心的な処刑方法だと考えられていた。

20世紀の終わりからほとんどの国では執行されなくなったが、サウジアラビアやカタール、イエメンでは今日でも合法的な処刑方法の一つだ。サウジアラビアのワッハーブ派政府が行うほとんどの処刑は公開処刑(詳しくはサウジアラビアにおける死刑を参照。)である[20]。公開処刑をする際、ほとんどの場合は人だかりができるが、処刑を写真に収めたり、動画を撮ったりする行為は禁止されている(詳しくはサウジアラビアにおける検閲英語版を参照。)[21]

文献的解釈

クルアーンが斬首について言及しているかどうかについては議論がある[22]。あるスーラ(章)は、戦争の文脈において斬首を正当化する根拠として用いられている[22]。以下がそのアーヤである:

ゆえに(信仰者たちよ)、あなた方が不信仰に陥った者たちと(戦場で)会ったならば、首への打撃を(食らわせよ)。やがて、あなた方が彼らを徹底的に痛めつけたならば、戦争が幕を引くまで(捕虜に)綱を縛りつけ、後に情けをかけて(無償で解放して)やるか、身代金(を受け取って解放する)か(、するのだ)。 —  クルアーンムハンマド章4節[8]

また古典的な注釈者の中でファフル・アルディーン・アルラーズィー英語版は戦利品章の12節について、『敵の頭から手足の先まで、あらゆる手段で打ち倒すこと』を意味すると解釈している[23]

(預言者よ、)あなたの主が天使たちに、(こう)お伝えになった時のこと(を思い起こさせるのだ)。「われはあなた方と共にある。ならば信仰する者たちを、堅固にするのだーーわれは、不信仰に陥った者たちの心に恐怖を投げ込もうーー。そして(信仰者たちよ、)彼らの首を打ち、彼らの指の節々すべてを断ち切ってやるがよい」。 —  クルアーン戦利品章12節 [8]

アル・クルトゥビ英語版は、「首を打て」という表現を、戦いの重大さと激しさを伝えるものとして解釈している[24]。アル・クルトゥビ、アル・タバリー英語版、そしてイブン・カシール英語版にとって、この表現は戦闘中に限られた一時的な行為を意味しており、継続的な命令ではないことを示している[24]

一部の注釈者は、テロリストたちがこれらのスーラ(章)に対して異なる解釈を用いて、捕虜の斬首を正当化していると指摘している[22]。さらに、レイチェル・サルームによれば、ムハンマド章第4節は、戦争に際しては寛大さや身代金による解放を勧めており、この節はムスリムたちが迫害を受け、生存のために戦わなければならなかった時代を背景としている[22]

ゆえに(信仰者たちよ)、あなた方が不信仰に陥った者たちと(戦場で)会ったならば、首への打撃を(食らわせよ)。やがて、あなた方が彼らを徹底的に痛めつけたならば、戦争が幕を引くまで(捕虜に)綱を縛りつけ、後に情けをかけて(無償で解放して)やるか、身代金(を受け取って解放する)か(、するのだ)。 —  クルアーンムハンマド章4節 [8]

関連項目

脚注

  1. ^ イスラム法「シャリア」とは アフガン女性にとって何を意味するのか2025年5月閲覧.
  2. ^ ブルネイ、不倫や同性愛に厳格な刑法を施行 石打ちで死刑も
  3. ^ a b c 「統治の諸規則」マーワルディー著、湯川武訳、p556
  4. ^ イスラーム法2025年5月閲覧.
  5. ^ キサースは権利なり、赦しは甘美なり:キサース刑は犯罪再発の抑止のため(上)
  6. ^ イスラーム法2025年5月閲覧.
  7. ^ 個人に対する暴力行為やテロ行為、あるいはイスラム国家に対する侵略反逆のことなどを指す。
  8. ^ a b c d quran.com 5:33-34Saeed Sato訳から引用
  9. ^ Qisas being used by the wealthy to avoid trial: CJ2025年5月閲覧.
  10. ^ a b 世界の死刑、中東4カ国で9割=アムネスティ年次報告 2025年5月閲覧.
  11. ^ Tunisia president calls for return of death penalty following brutal killing
  12. ^ Algeria considers death penalty for child abductors
  13. ^ Ebbe, O. N., & Odo, I. (2013), The Islamic Criminal Justice System, in Comparative and International Criminal Justice Systems: Policing, Judiciary, and Corrections, CRC Press, ISBN 978-1466560338, Chapter 16
  14. ^ Jon Weinberg (2008), Sword of Justice? Beheadings Rise in Saudi Arabia, Harvard International Review, 29(4):15
  15. ^ R Terman (2007), The Stop Stoning Forever Campaign: A Report Archived 2015-04-03 at the Wayback Machine WLUM Laws
  16. ^ Javaid Rehman & Eleni Polymenopoulou (2013), Is Green part of the rainbow - Sharia, Homosexuality, and LGBT Rights in the Muslim World, Fordham Int'l Law Journal, 37:1-501
  17. ^ サヒーフ・ムスリム ウェブサイト版 日訳サヒーフムスリム 2巻 P.732-733から引用
  18. ^ Cliff Roberson, Dilip K. Das (2008). An Introduction to Comparative Legal Models of Criminal Justice. CRC Press. p. 156. ISBN 9781420065930.
  19. ^ Decapitation and the Muslim World2025年5月閲覧.
  20. ^ Saudi Arabia's Beheading of a Nanny Followed Strict Procedures2025年5月閲覧.
  21. ^ Saudi Arabia’s Beheadings Are Public, but It Doesn’t Want Them Publicized2025年5月閲覧.
  22. ^ a b c d Rachel Saloom (2005), "Is Beheading Permissible under Islamic Law – Comparing Terrorist Jihad and the Saudi Arabian Death Penalty", UCLA Journal of International Law and Foreign Affairs, vol. 10, pp. 221–49.
  23. ^ Nasr, Seyyed Hossein; Dagli, Caner K.; Dakake, Maria Massi; Lumbard, Joseph E.B.; Rustom, Mohammed (2015). The Study Quran: A New Translation and Commentary. HarperCollins (Kindle edition). p. Commentary to 8:12, Loc. 23676–23678.
  24. ^ a b Nasr, Seyyed Hossein; Dagli, Caner K.; Dakake, Maria Massi; Lumbard, Joseph E.B.; Rustom, Mohammed (2015). The Study Quran: A New Translation and Commentary. HarperCollins (Kindle edition). p. Commentary to 47:4, Loc. 59632–59635 



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