イギリス・ニュー・ウェイヴ
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イギリス・ニュー・ウェイヴ(British New Wave、1960年前後)は、かつて存在したイギリスの映画運動である。ブリティッシュ・ニュー・ウェイヴ、あるいは、フリー・シネマもしくはフリー・シネマ運動とも呼ぶ。
略歴・概要
1950年代後半から1960年代半ばにかけて活動していた、英国の若手の映画監督たちの比較的緊密に結ばれた集団、およびインディペンデントの製作会社に与えられた名称である。前者には、リンゼイ・アンダーソン、カレル・ライス、トニー・リチャードソンがその代表格であり、これにジャック・クレイトン、ジョン・シュレシンジャーが加えられることもある。後者には、特にリチャードソンと劇作家のジョン・オズボーンが原型を作ったウッドフォール・フィルムズが該当する。
「ニュー・ウェイヴ」という名称は、およそ同時代にあたるフランスのヌーヴェルヴァーグに由来する。ウッドフォール・フィルムズが製作した映画には、リチャードソンが監督した『怒りを込めて振り返れ』(1959年)、『蜜の味』(1961年)、そしてライスが監督した『土曜の夜と月曜の朝』(アラン・シリトー原作、1960年)などがある。
アンダーソンとライスとリチャードソンは、1950年半ばのフリー・シネマ運動(主として、「個人的な」ドキュメンタリーの製作に取り組んでいた)の共同創始者である。イギリス・ニュー・ウェイヴは、イギリス映画の伝統であるドキュメンタリーとリアリズムの潮流における重要な段階としてみなされている。
最初は、イギリス北部の産業地帯に集中する主に労働者階級に属する登場人物に焦点を当てた点で画期的であった、と解釈される傾向があった。
イギリス・ニュー・ウェイヴの監督のほとんどは、イギリスの支配階級とオックスブリッジ(オックスフォード大学とケンブリッジ大学)出身だった。この運動は社会的にこれまで周縁に属していた主題や対象を誠実に取り上げようとする試みでもあったが、それは当事者の視点でなく、階級関係についてのラジカルな分析と言うよりは、ほとんどいつも労働者階級の男性主人公についてのロマンティックで個別的な描写にとどまっていた。
関連事項
イギリス・ニュー・ウェイヴ
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「イギリスの映画」の記事における「イギリス・ニュー・ウェイヴ」の解説
詳細は「イギリス・ニュー・ウェイヴ」を参照 イギリス・ニュー・ウェイヴもしくは "Kitchen Sink Realism" という言葉は、1955年から1963年にかけてヒットした一群の作品を指して用いられる。 イギリス・ニュー・ウェイヴの作品は多くの場合、労働者階級の開放(『密の味』1961年)や、それまでタブーであった堕胎や同性愛といったテーマ("The Leather Boys" 1964年)と関連付けられる。 ニュー・ウェイヴの監督たちは「フリー・シネマ」(Free Cinema)と呼ばれるドキュメンタリー映画運動に影響を受けていた。この動きは1950年代半ばに現れ、1956年にリンゼイ・アンダーソンによって「フリー・シネマ」と名付けられた。彼らは1950年代半ばから顕著になってきたAngry young menや、第二次大戦後の一般の人々の日々を映し出したドキュメンタリー映画からも影響を受けていた。 これらの映画は個人的で詩的、また想像力に富んだ音楽やナレーションの使い方が特徴であった。また、共感と尊敬をこめて一般の労働者階級に属する人々を描いてもいた。1956年のフリー・シネマに関する声明には次のような部分がある。「どんな映画も私的すぎることはない。そのイメージが自ら語るであろう。音声がそれを増幅し、付け加えるであろう。規模は無関係である。完璧な作品を作ることが目的ではない。姿勢がスタイルとなる。スタイルがその姿勢となる。」("No film can be too personal. The image speaks. Sounds amplifies and comments. Size is irrelevant. Perfection is not an aim. An attitude means a style. A style means an attitude.") この動きの主要なメンバーであったトニー・リチャードソン、カレル・ライス、リンゼイ・アンダーソンは映画雑誌 "Sequence" を発刊した。 後にボンド映画のプロデューサーを務める ハリー・サルツマン、ジョン・オズボーン、そしてトニー・リチャードソンは製作会社ウッドフォール・フィルムズ (Woodfall Films) を設立し、リチャードソンが舞台演出を手がけた作品の映画版『怒りを込めて振り返れ』や『寄席芸人』を製作した。この時期の他の重要な作品としては『土曜の夜と日曜の朝』(1960年)、『或る種の愛情』(1962年)、『孤独の報酬』(1963年)などがある。 トニー・リチャードソンの『トム・ジョーンズの華麗な冒険』のヒットの後、このグループのメンバーはそれぞれの道を歩みだすことになる。この動きはまた、アルバート・フィニー、アラン・ベイツ、リタ・トゥシンハム、 リチャード・ハリス、トム・コートネイなどをスターダムに押し上げた。
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