イギリス・ニュー・ウェイヴ
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イギリス・ニュー・ウェイヴ(British New Wave、1960年前後)は、かつて存在したイギリスの映画運動である。ブリティッシュ・ニュー・ウェイヴ、あるいは、フリー・シネマもしくはフリー・シネマ運動とも呼ぶ。
- 1 イギリス・ニュー・ウェイヴとは
- 2 イギリス・ニュー・ウェイヴの概要
イギリス・ニュー・ウェイヴ
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「イギリスの映画」の記事における「イギリス・ニュー・ウェイヴ」の解説
詳細は「イギリス・ニュー・ウェイヴ」を参照 イギリス・ニュー・ウェイヴもしくは "Kitchen Sink Realism" という言葉は、1955年から1963年にかけてヒットした一群の作品を指して用いられる。 イギリス・ニュー・ウェイヴの作品は多くの場合、労働者階級の開放(『密の味』1961年)や、それまでタブーであった堕胎や同性愛といったテーマ("The Leather Boys" 1964年)と関連付けられる。 ニュー・ウェイヴの監督たちは「フリー・シネマ」(Free Cinema)と呼ばれるドキュメンタリー映画運動に影響を受けていた。この動きは1950年代半ばに現れ、1956年にリンゼイ・アンダーソンによって「フリー・シネマ」と名付けられた。彼らは1950年代半ばから顕著になってきたAngry young menや、第二次大戦後の一般の人々の日々を映し出したドキュメンタリー映画からも影響を受けていた。 これらの映画は個人的で詩的、また想像力に富んだ音楽やナレーションの使い方が特徴であった。また、共感と尊敬をこめて一般の労働者階級に属する人々を描いてもいた。1956年のフリー・シネマに関する声明には次のような部分がある。「どんな映画も私的すぎることはない。そのイメージが自ら語るであろう。音声がそれを増幅し、付け加えるであろう。規模は無関係である。完璧な作品を作ることが目的ではない。姿勢がスタイルとなる。スタイルがその姿勢となる。」("No film can be too personal. The image speaks. Sounds amplifies and comments. Size is irrelevant. Perfection is not an aim. An attitude means a style. A style means an attitude.") この動きの主要なメンバーであったトニー・リチャードソン、カレル・ライス、リンゼイ・アンダーソンは映画雑誌 "Sequence" を発刊した。 後にボンド映画のプロデューサーを務める ハリー・サルツマン、ジョン・オズボーン、そしてトニー・リチャードソンは製作会社ウッドフォール・フィルムズ (Woodfall Films) を設立し、リチャードソンが舞台演出を手がけた作品の映画版『怒りを込めて振り返れ』や『寄席芸人』を製作した。この時期の他の重要な作品としては『土曜の夜と日曜の朝』(1960年)、『或る種の愛情』(1962年)、『孤独の報酬』(1963年)などがある。 トニー・リチャードソンの『トム・ジョーンズの華麗な冒険』のヒットの後、このグループのメンバーはそれぞれの道を歩みだすことになる。この動きはまた、アルバート・フィニー、アラン・ベイツ、リタ・トゥシンハム、 リチャード・ハリス、トム・コートネイなどをスターダムに押し上げた。
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