イギリス・バルカン半島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:12 UTC 版)
「ドイツ陸軍 (国防軍)」の記事における「イギリス・バルカン半島」の解説
フランス降伏後、ドイツはイギリス本土上陸作戦(アシカ作戦)を計画したが、空軍による英本土攻撃(バトル・オブ・ブリテン)が失敗したため果たせなかった。まだその帰趨も明らかでなかった8月のうちに、スペインに領内通過を求めて英領ジブラルタルを攻略する計画も起草されたが、スペインの同意を得られず同年末までに立ち消えとなった。しかしそれらすべてと並行して、ヒトラーは同年7月末からソ連侵攻計画(バルバロッサ作戦)の検討も命じていた。 しかしイタリア軍のギリシャでの敗退により、1941年春、ドイツ軍はバルカン半島制圧に向かった。バルカン半島での戦闘は僅か3週間で決着が付いたが、バルカン侵攻はヒトラーにとって戦略上の大誤算であり、その後の対ソ連戦略に大きな影を落とした。 1940年8月から10月までに編成された歩兵師団群は、あらゆる任務に適するドイツ歩兵師団としては事実上最後のものとなった。1941年以降に編成された歩兵師団はフランス沿岸などの防衛用に戦力を削られたもので、それ以前に編成された師団を一つでも多く前線に送り出す交代用の師団か、壊滅した師団の兵員を中核とする再建師団であったから、ドイツの動員力はこのころひとつの限界に突き当たったと言えよう。戦時経済もこのころを境に、総力戦体制へと最後の傾斜を始める。
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