アフガニスタン・イスラム共和国
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「アフガニスタンの歴史」の記事における「アフガニスタン・イスラム共和国」の解説
2004年10月9日、アフガニスタン・イスラム共和国発足。 2011年5月2日、CNNはビン=ラーディンがパキスタンのアボッターバードにある隠れ家をアメリカ合衆国海軍の特殊部隊、Navy SEALsに襲撃され、殺害されたと報道。 2015年7月8日、アフガニスタン政府がパキスタンの首都イスラマバードでタリバンと初めて公式に和平を直接協議。同年7月30日、消息が不明だったタリバンの最高指導者ムハンマド・オマルが2013年4月に死亡していたことが確認。 2016年1月11日、パキスタン・アフガニスタン・中国・アメリカがタリバンとの和平を目指す4カ国調整グループ(QCG)を設立。同年3月、タリバンは和平交渉を拒否した 2019年12月4日、ナンガルハル州ジャララバードで同地を拠点に灌漑事業を展開していたペシャワール会代表の中村哲が殺害された。 2021年4月、アメリカ合衆国のジョー・バイデンは、2021年9月11日までに駐留米軍を完全撤退させると発表した。 アメリカ合衆国がアフガニスタンからの撤退を進める中、ターリバーンは主要都市を次々に制圧し、2021年8月15日にはカブールに迫り、全土を支配下に置いたと宣言した。政権側もアブドゥル・サタール・ミルザクワル内務相代行が平和裏に権力の移行を進めると表明した。 詳細は「2021年ターリバーン攻勢」および「カーブル陥落 (2021年)」を参照 そして同年8月19日には、ターリバーンがアフガニスタン・イスラム首長国として新政権を樹立した。 8月15日以降、政権崩壊に直面して多国籍軍、外国の支援団体に協力していた市民を中心に、ターリバーン政権下で迫害を受ける可能性のある市民らの国外脱出が本格化した。カーブル国際空港からは連日、アメリカ軍を中心とする多国籍軍の輸送機が多数の市民を乗せて離陸、8月25日までに約8万8000人がアフガニスタンを後にした。これらの中にはテレビ放送局(TOLO)に所属していたジャーナリストをはじめとした知識階級、技術者も多数含まれており、国の立て直しに向けて障害となる可能性を含むこととなった。
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アフガニスタン・イスラム共和国
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「カーブル」の記事における「アフガニスタン・イスラム共和国」の解説
カルザイ大統領の率いる政権(アフガニスタン・イスラム共和国)が制定した憲法で首都がカーブルに指定され、再度首都としてアフガニスタンの中心都市となった。 2021年、アメリカ軍の撤退が本格化するとターリバーンが軍事攻勢を強め、カーブルにも迫る動きを見せた。同年、8月15日にはアメリカ大使館がヘリコプターを使い撤収を始めると、カナダ、ドイツなども大使館の閉鎖を行った。
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アフガニスタン・イスラム共和国
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「世界遺産の一覧 (アジア)」の記事における「アフガニスタン・イスラム共和国」の解説
詳細は「アフガニスタンの世界遺産」を参照 画像登録名登録年分類登録基準ID備考 ジャームのミナレットと考古遺跡群 2002年 文化 (2), (3), (4) 211 危機遺産(2002年 - )。 バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群 2003年 文化(文化的景観) (1), (2), (3), (4), (6) 208 緊急案件。危機遺産(2003年 - )。「負の世界遺産」に分類されることがある。
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