アパートの建設
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「市営基町高層アパート」の記事における「アパートの建設」の解説
県と市の足並みがそろわずなかなか計画が進まなかったが、ようやく1968年(昭和43年)5月に『基町地区再開発促進協議会』を設置。翌1969年(昭和44年)3月に、基町地区の約33,600m2が住宅改良地区として国の指定を受け、3月20日に必要な入札が行われ、翌4月より着工した。 不良住宅の一掃に加え、広島市中央公園や護岸緑地の整備など、日本初の大規模高層高密度再開発になった。 赤枠は基町高層アパート桃枠は基町中層アパート黄枠は県営長寿園高層アパート青枠は公団・公社建設途中のため原爆スラムが残っている1974年。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成 枠色は同様原爆スラムは消滅した1988年。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成 建設に伴い、団地内の車両通過を避けるために、アパート東側に主要道路の付け替えも行われ、1969年(昭和44年)に住民移転が真っ先に行われた。1971年(昭和46年)には、広島市立基町小学校および広島市立中央図書館予定地の住民移転。1973年(昭和48年)には、広島バスセンターのバス進入路予定地の住民移転。1975年(昭和50年)には、ひろしま美術館予定地の住民移転が重点的に行われた。 再開発前、区域内には361店舗の商店が営業していたが、270店舗は基町地区および長寿園地区に設けた商業区域に移転。鉄工所・廃品回収業・板金業・養鶏場といった再開発区域での営業が不適切とされた業種については、1977年(昭和52年)までに他地区への移転、もしくは他業種への転換を完了した。建設途中、高層アパートができるまで、仮設の住宅や店舗に移転した例もあった。 また、1974年(昭和49年)6月には、基町内の戦災・引き揚げ者住宅も消滅した。 1978年(昭和53年)3月に、2,600戸の不良住宅の除却を完了。広島市が1,800戸、広島県が800戸の不良住宅を除却した。同年7月までの工事で、計2,964戸が完成。高層アパート建設で空いた土地を広島市中央公園として整備。同年10月に事業完成式典を行い、基町の再開発は完了した。完成までに10年の歳月と、建物撤去などの費用などを含め約260億円の費用を掛けた。 これらの事業は、強制執行を行うことなく達成した。 その後、1979年(昭和54年)よりスラム後の護岸整備を行い、1983年(昭和58年)に太田川基町護岸が完成した。 基町高層アパートを太田川対岸より 基町高層アパートを別の角度より 基町高層アパートを別の角度より 基町地区再開発事業完成記念碑と基町高層アパート 太田川基町護岸
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