アネーカーンタヴァーダ - 心の非暴力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/20 22:06 UTC 版)
「アヒンサー (ジャイナ教)」の記事における「アネーカーンタヴァーダ - 心の非暴力」の解説
詳細は「アネーカーンタヴァーダ」および「スィヤードヴァーダ」を参照 アネーカーンタヴァーダは真理の相対性の原理あるいは多元論の教理である。真理は多面的であり、個人では全体を把握できないような多くの面を持っているとジャイナ教では考えられている。アネーカーンタヴァーダとは世界が多面的であり、観測者と観測されるものの時間、場所、性質、状態に相即する観点の無限性に伴って真実が変化し続けることを言っている。ある観点からは真実であることでも別の観点からは疑問符がつけられる。絶対的な真理は一つの個別的な視点からは把握されえない、というのは絶対的な真理は宇宙を形作るすべての互いに異なる観点の総体だからである。こういった教説に根差しているためにジャイナ教では一人の人間の、あるいは一つのコミュニティーの、あるいは一つの国家の、あるいは一つの種の観点を排他的に支持することはない。他の人々にとっては、そして他の生命体にとっては別の考えが妥当であるということがジャイナ教では本質的に認知されている。この認識によってスィヤードヴァーダ、つまり異なる観点から真理について述べる七種の叙述が生まれる。アネーカーンタヴァーダが教理であり、スィヤードヴァーダがその説明となっている。ジャイナ哲学者によればすべての重要な哲学的言明は哲学における教条主義(ekanta)に陥る危険性を排除するためにこの七種の方法で述べられるべきであるという。 スィヤードヴァーダの概念のもとでジャイナ教徒はまず自分の観点から他の哲学における真理を受け入れ、しかる後に相手に他の観点に従うことを教え込む。アネーカーンタヴァーダは反絶対主義であり、「ジャイナ教だけが唯一の正しい信仰の道である」のような主張すら含むあらゆる教条主義に断固として抵抗する。これは知性のアヒンサーつまり心のアヒンサーにも及ぶ。アネーカーンタヴァーダにおいては「思想の戦い」は起こらない、というのは「思想の戦い」は知性のヒンサーつまり傷害であり、まったくもって論理的に肉体的な暴力や戦争を引き起こすからである。今日の世界では、敵対者を画定すること、「敵か味方か」といった形の言明が政治的・宗教的・社会的紛争を徐々に明確に導いている。環境的危機が起こることもこうした反対主義と結びつけられているがそれは環境的危機が人間と「それ以外」の自然という誤った二分法から起こってくるからである。
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