アイタペの戦いとは? わかりやすく解説

アイタペの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 19:15 UTC 版)

ニューギニアの戦い」の記事における「アイタペの戦い」の解説

詳細は「アイタペの戦い」を参照 1944年6月ウェワクには第18軍残存兵力集結していた。東部ニューギニア投入され総計16名の兵力は、このとき5万4,000名にまで減少していた。残存部隊も、それまで戦闘補給途絶による飢餓病気で、消耗した状態だった。6月20日大本営第18軍第2方面軍指揮下から南方軍直属移し、「東部ニューギニア要域における持久」を命じ積極行動停止促した。 しかし、安達軍司令官最後の決戦としてアイタペ奪還命じたウェワク放置して先(西のホーランジアとアイタペ)に進んだ連合軍そのままにできず、また、ウェワク地区採取できる食糧の量では、5万4,000名を養うことは不可能だ判断されたからである。 日本軍第20師団、第41師団歩兵第66連隊の計2万人で、200キロ西方のアイタペに向けて出撃した。これに対し連合軍もアイタペ東方30キロのドリニュモール川(日本軍呼称坂東川)に防衛線を敷きアメリカ軍112騎兵連隊戦闘団、第32歩兵師団、第124連隊戦闘団、第43歩兵師団を順に急派した。投入兵力双方2個師団であったが、日本軍の1個師団実数1個連隊に過ぎなかった。 7月10日夜から日本軍渡河攻撃開始し一時アメリカ軍包囲する態勢入った。しかし、アメリカ軍増援部隊到着する押し戻された。日本軍後続部隊は、空襲艦砲射撃移動妨害された。 8月4日には日本軍食糧弾薬尽き、各歩兵連隊兵力100名以下にまで損耗した。安達軍司令官攻撃停止指令し日本軍撤退開始した日本軍の損害戦死者だけで1万3,000名に達しアメリカ軍死傷者は約3,000であった

※この「アイタペの戦い」の解説は、「ニューギニアの戦い」の解説の一部です。
「アイタペの戦い」を含む「ニューギニアの戦い」の記事については、「ニューギニアの戦い」の概要を参照ください。

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