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ユリン千晶

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/14 09:49 UTC 版)

ゆりん ちあき
ユリン 千晶
プロフィール
本名 内藤 千晶(ないとう ちあき)[1]
性別 女性
出身地 日本広島県呉市[1]
生年月日 (1981-06-18) 1981年6月18日(43歳)
血液型 AB型[1]
職業 声優ナレーター
事務所 青二プロダクション
配偶者 あり
公式サイト yurinstyle.com 公式サイト
公称サイズ(時期不明)[1]
身長 / 体重 168 cm / 46 kg
活動
活動期間 2004年 -
デビュー作 クッキー(『ハイパーボッツ』)
タレント活動
活動期間 2003年 - 2006年
ジャンル バラエティ番組
デビュー作王様のブランチ
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

ユリン 千晶(ユリン ちあき、1981年6月18日[1] - )は、日本女性声優ナレーター、元タレント青二プロダクション所属。広島県呉市出身[1]

芸名ゆりんユリン

来歴

高校在学中に女性ファッション雑誌『non-no』の準専属モデル(ノンノ・フレンド)に合格。大学生の時に原宿ホリプロにスカウトされホリプロ所属となる。

2003年、『王様のブランチ』で芸能界デビュー。当時の芸名「ゆりん」はインターネットで公募した上で決まった[1][2]

青山学院大学文学部卒業[2]

2006年2月頃まで芸能人女子フットサルチーム「XANADU loves NHC」に在籍していた。同事務所で本業の他に声優業も行っていたお笑いコンビアリtoキリギリス石井正則や、つぶやきシローなどに次いで声優業に取り組み始め、声のみで表現する演技の面白さや奥深さに感銘を受ける。しかし当時ホリプロには声優部門がなかったため、本格的に声優を志すべく同年末をもってホリプロとの契約を終了。

2006年から2009年3月までホーリーピークに所属し[3]、以降は声優業を中心に活動するようになる。

フリーを経て、2009年9月から2011年11月までアーツビジョンに所属[4]2012年2月から2021年3月までアクセントに所属[5]。多数の大手企業VPナレーションも担当し、ナレーション業も本格的に始動させる。

2021年4月1日より、アクセントを退社しフリーとして活動[6]。同時に芸名をユリン千晶に改めた。

2024年11月1日、青二プロダクションに所属[7]

人物

資格はキッズコンサルタント。趣味・好きなことはズンバアクアビクスランニングなど身体を動かすこと、自転車パン公園めぐり、恋愛トーク(恋バナ)、占いホームパーティー、子ども達との絵本タイム。特技はマッサージ[8]

兄がいる[1]。3児の母[8]

出演

太字はメインキャラクター。

テレビアニメ

2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
  • たまごっち!(2012年 - 2014年、はるかぜっち、ナイトっち、はなふわっち、ちゃいなっち、もなトトっち、サッカー生徒、タクトっち、チェロっち、みどりっち、きいろバグっち、ちょーちょっち、きゃおっち、こねねっち 他) - 4シリーズ
2013年
2014年
2015年
2016年
2018年
2022年
2024年
2025年

劇場アニメ

OVA

Webアニメ

ゲーム

ラジオ

ラジオドラマ

ドラマCD

吹き替え

映画

ドラマ

テレビ番組

  • 5ファースト・デート(リリー)

アニメ

CMナレーション

テレビ番組ナレーション

  • 『チョコプラあきたメシ』(ABS)(2020年)
  • 『BCリーグ ドキュメンタリー』(Amazonプライム・ビデオ) (2020年 - )
  • 『北海道独立宣言』堀江貴文プレゼンツ(HBC) (2019年)
  • 『渋谷オルガン坂 生徒会』(DHC TV) 3時のヒロイン、おかずクラブジャングルポケット等人気芸人の皆様と共 に美容コーナー担当)(2019年〜2021年)
  • ギア猿 資生堂企業対抗レディース ゴルフトーナメント2019』(Jスポーツ)(2019年)
  • 『ギア猿 資生堂企業対抗レディース ゴルフトーナメント2020』(Jスポーツ) (2020年)
  • 『わが家』ドキュメンタリー(BS NHK)

モデル・タレントとしての活動

レギュラー番組

ゲスト出演

特番

  • オールスター感謝祭(TBS)
  • ウルトラストロング ゲーム〈と共にオーストラリアを舞台にシドニー→ ゴールドコースト→グレートバリアリーフ→ハミルトン島→ケアンズを巡る〉 (NTV)
  • 占い師100人にききました(MBS)

CM

モデル

脚注

注釈

  1. ^ 『シャイン/ダーク』(2011年)、『2 クロノ・ストーン ネップウ/ライメイ』(2012年)
  2. ^ 『2012エクストリーム』(2011年)、『GO 2013』(2012年)

出典

  1. ^ a b c d e f g h ゆりん”. ホリプロ. 2007年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月2日閲覧。
  2. ^ a b “芸名ネット公募「ゆりん」で~す”. Sponichi Annex. (2003年1月28日). オリジナルの2003年2月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20030205061926/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2003/01/28/07.html 2021年3月31日閲覧。 
  3. ^ ゆりん|ホーリーピーク”. ホーリーピーク. 2007年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月9日閲覧。
  4. ^ ゆりん|アーツビジョン”. アーツビジョン. 2010年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月9日閲覧。
  5. ^ ゆりん|アクセント”. アクセント. 2021年3月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月9日閲覧。
  6. ^ ユリン千晶 [@yurinno0618] (2021年4月1日). "この度、9年間お世話になりました(株)アクセントを退社いたしまして、2021年4月1日よりフリーのナレーター・声優としてリスタートいたしました。". X(旧Twitter)より2021年4月7日閲覧
  7. ^ 青二プロダクション【公式】 [@aoni_official] (2024年11月1日). "【新加入のお知らせ】". X(旧Twitter)より2024年11月1日閲覧
  8. ^ a b ユリン千晶 PROFILE”. yurinstyle.com. 2022年1月9日閲覧。
  9. ^ 僕等がいた”. メディア芸術データベース. 2022年5月9日閲覧。
  10. ^ 追加キャスト決定!!”. スペース☆ダンディ 公式サイト (2013年10月25日). 2013年10月25日閲覧。
  11. ^ 花とゆめ』2015年1号、白泉社、2014年12月5日。 
  12. ^ Staff&Cast”. テレビアニメ「CONCEPTION」公式サイト. 2018年9月5日閲覧。
  13. ^ 第3話初出
  14. ^ 第5話初出
  15. ^ 第12話初出
  16. ^ 第2話初出
  17. ^ アニメージュ』2012年1月号より
  18. ^ CHARACTER”. CONCEPTION公式サイト. 2012年4月2日閲覧。
  19. ^ キャラクター”. CONCEPTION PLUS 俺の子供を産んでくれ!. スパイク・チュンソフト. 2019年1月21日閲覧。

外部リンク


浜松市交通部

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/26 09:06 UTC 版)

浜松市交通部(はままつしこうつうぶ)は、かつて浜松市地方公営企業法及び浜松市条例に基づく地方公営企業として経営していた、一般乗合旅客自動車運送事業(路線バス)・一般貸切旅客自動車運送事業(観光バス)を管轄する部署である[1]。通称を浜松市営バスという。

沿革

草創期

浜松市営バスの運行計画は、大正末期から表面化してきたが、当時は市街電車論に押されたり、昭和恐慌による政府の財政緊縮化政策等の影響を受け、実現には至らなかった。その後、1932年に具体的な計画が立てられた。これは、伊場船越線、師範学校天神線、中沢向宿線、高射砲浅田線の4線からなる路線網を新たに運行するというもので、この案をもって、同年に県知事に市営自動車運転許可願を提出した。翌年に自動車交通事業法の施行されることもあって、これは差し戻され、1934年に改めて国に事業免許を申請した。しかし、既に市内の交通網は民間事業者によって整備されていたため許可にはならなかった。

その2年後の1936年に、市は独自路線の計画案を変更し、浜松循環自動車と中田島自動車の2社を買収する計画を打ち出した。これは、当時市が隣接町合併による市民の足の確保を急いでいたことと、上記の2社の経営事情があまりよくなかったことの利害関係の一致によるものである。この時期にも市内電車論は少なくなかったが、戦前の浜松市は極めて道路が狭く、バスの新設が現実的だったようである。こうして、1936年8月1日に上記2社を買収し、市営バスが誕生した。当初の市の担当箇所は、商工課自動車係とした。

当時の路線は、西廻線、東廻線、北廻線、佐鳴湖線、中田島線の5線である。なお、北廻線は買収当時運休しており、市営バスとしての開通は、1936年12月15日である。その当時の各線の運行本数を下に示す。

浜松市営バス運行本数(1936.12.15)
路線名区間運行本数
西廻線駅前-鴨江-広沢-追分-元浜-馬込-駅前鴨江先廻り:72, 元浜先廻り:60
東廻線駅前-龍禅寺-向宿-天神町-佐藤町-駅前龍禅寺先廻り:15, 佐藤町先廻り:15
北廻線駅前-野口-助信-中沢-元城-駅前野口先廻り:17, 元城先廻り:17
佐鳴湖線駅前-栄町-高町-広沢-小藪夏期運転
中田島線駅前-龍禅寺-瓜内-中田島夏期運転

その後、上記5路線を中心に車両数の増加を行い、1943年には1937年に比べて2.4倍もの乗客数の増加となった。しかし、1945年6月に浜松市は大空襲を受けることとなり、市営バスも運行不能となった。

発展期

戦災直後の稼働台数は5台だった。

戦後は市の復旧が行われ、また、1949年から1955年頃には周辺の町村との合併が実施された。これによる市域の拡大に伴い、市営バスの路線の拡張が行われた。特に、昭和30年代は、市民の要望と乗客サービスの向上のために、路線の拡張及び車両の整備増強に努め、運行回数の増加なども行った。その結果、1964年には年間乗降客数が2384万人にまで達し、市営バスの歴史の中で最多記録となった。

経営健全化実施計画

しかし、その後は乗客は減少することとなり、経営が悪化したため、これを健全化すべく、浜松市自動車自動車運送事業経営協議会、浜松市自動車運送事業懇談会及び浜松市自動車運送事業対策協議会を設置し、内外より意見を求め、これを踏まえ、経営健全化実施計画等(第一次:1967-1973年度, 第二次:1973-1977年度, 第三次:1978-1982年度)をたて、不採算路線の整理統合およびワンマン化の実施等を実施した。路線の整理統合により、路線網の形状は変化したが、路線によっては延長も行われたため、免許キロ数はあまり変化していない。なお、ワンマン化の達成は1972年であった。

しかし、市営バスをとりまく環境は年々厳しくなり、上記の計画の実行は思うように進まず、経営は悪化した。これにより、財政面において大きな危機に立たされたと市は認識していたようである。

民間移管

財政危機を受けて浜松市営バスは新たな道を探ることとなり、1983年11月には対策協議会から市長に対して3年を目処にした民間事業者への移管が答申された[2][3]。市当局・遠州鉄道(遠鉄)・監督関係官庁の協議の結果、1984年1月12日に「浜松市自動車運送事業の民営移管等に係る実施計画」が策定され、以下のように浜松市から遠鉄に路線の移譲が行われた(以下の線名は浜松市営当時のものであり、移譲後の遠鉄による路線再編は反映されていない)。なお、北じゅんかん(浜松駅-助信-浜松駅)は遠鉄に移譲されず廃止された。

1986年12月1日の2路線の移譲をもって、市営バスは50年の歴史に幕を下ろした[4]

また、貸切バスは、「市営観光バス」の名で親しまれたが、こちらも1984年4月1日に遠州鉄道に移管されている[5]

路線の動向
年月免許キロ停留所数運行回数
1936.825.0-215
1945.326.49292
1950.337.7-238
1955.373.1219613
1960.3101.63131049
1965.3111.73231382
1970.3117.03281511
1975.3105.02881619
1980.398.12631138
1982.1191.62261224
1984.373.61961077
1985.353.9150915
1986.330.989652
1986.1112.935226

車両

概説

いすゞ日野三菱(現:三菱ふそう)の3メーカーの車輛を導入していた。遠鉄バスと同じく日野車は富士重工業製ボディを架装。

同じ浜松市内を走る遠鉄バスの車輛とは仕様が異なり、短尺車、二段窓、中扉がスライドドア、床が木張り、側面方向幕が中扉後部などの違いが有った。

また、新車の他にも遠州鉄道からの中古車が導入されていた。

車番

車番は、登録番号とは別に3桁の番号が与えられ、いすゞ製が300番台、日野製が500番台、三菱ふそう製は当初400番台が付番されていたが1960年頃に800番台へ変更されている。100番台はトヨタ自動車、200番台は日産自動車、600番台は三菱ローザ(マイクロバス)、700・900番台は欠番だった。

出典

  1. ^ 浜松市営バス記念誌 1987, p. 26, 「交通部制の発足」.
  2. ^ 浜松市営バス記念誌 1987, pp. 91–92, 「浜松市自動車運送事業対策協議会の開催と答申」.
  3. ^ 浜松市営バス記念誌 1987, pp. 233–239, 答申書「浜松市自動車運送事業の今後の在り方について(昭和58年11月17日)」.
  4. ^ 鉄道ジャーナル』第21巻第4号、鉄道ジャーナル社、1987年3月、135頁。 
  5. ^ 浜松市市長室自動車運送事業清算事務局 編『浜松市営バス記念誌』浜松市市長室自動車運送事業清算事務局、1987年3月、120頁。全国書誌番号:87034086 

参考文献

関連項目





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