ユリン千晶
ゆりん ちあき ユリン 千晶 | |
---|---|
プロフィール | |
本名 | 内藤 千晶(ないとう ちあき)[1] |
性別 | 女性 |
出身地 |
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生年月日 | 1981年6月18日(43歳) |
血液型 | AB型[1] |
職業 | 声優、ナレーター |
事務所 | 青二プロダクション |
配偶者 | あり |
公式サイト | yurinstyle.com 公式サイト |
公称サイズ(時期不明)[1] | |
身長 / 体重 | 168 cm / 46 kg |
活動 | |
活動期間 | 2004年 - |
デビュー作 | クッキー(『ハイパーボッツ』) |
タレント活動 | |
活動期間 | 2003年 - 2006年 |
ジャンル | バラエティ番組 |
デビュー作 | 「王様のブランチ」 |
ユリン 千晶(ユリン ちあき、1981年6月18日[1] - )は、日本の女性声優、ナレーター、元タレント。青二プロダクション所属。広島県呉市出身[1]。
旧芸名はゆりん、ユリン。
来歴
高校在学中に女性ファッション雑誌『non-no』の準専属モデル(ノンノ・フレンド)に合格。大学生の時に原宿でホリプロにスカウトされホリプロ所属となる。
2003年、『王様のブランチ』で芸能界デビュー。当時の芸名「ゆりん」はインターネットで公募した上で決まった[1][2]。
2006年2月頃まで芸能人女子フットサルチーム「XANADU loves NHC」に在籍していた。同事務所で本業の他に声優業も行っていたお笑いコンビ「アリtoキリギリス」石井正則や、つぶやきシローなどに次いで声優業に取り組み始め、声のみで表現する演技の面白さや奥深さに感銘を受ける。しかし当時ホリプロには声優部門がなかったため、本格的に声優を志すべく同年末をもってホリプロとの契約を終了。
2006年から2009年3月までホーリーピークに所属し[3]、以降は声優業を中心に活動するようになる。
フリーを経て、2009年9月から2011年11月までアーツビジョンに所属[4]。2012年2月から2021年3月までアクセントに所属[5]。多数の大手企業VPナレーションも担当し、ナレーション業も本格的に始動させる。
2021年4月1日より、アクセントを退社しフリーとして活動[6]。同時に芸名をユリン千晶に改めた。
人物
資格はキッズコンサルタント。趣味・好きなことはズンバ、アクアビクス、ランニングなど身体を動かすこと、自転車、パン、公園めぐり、恋愛トーク(恋バナ)、占い、ホームパーティー、子ども達との絵本タイム。特技はマッサージ[8]。
出演
太字はメインキャラクター。
テレビアニメ
- 2006年
-
- 結界師(川上きらら、女生徒)
- それいけ!アンパンマン(こんぶくん)
- DEATH NOTE(女の子)
- ブラック・ジャック(女子生徒)
- ブラック・ジャック21(村人)
- 僕等がいた(山本奈々[9])
- 2007年
-
- シュガーバニーズシリーズ(ストロベリーうさ、あおうさ)
- 逮捕しちゃうぞ フルスロットル(女性警官)
- 2008年
-
- RD 潜脳調査室(清水リサ)
- おじゃる丸(2008年 - 2021年、みっちゃん、モンシロちゃん、ピー子、ナナ、クワ子、影アカネ 他)
- のらみみ2(子供)
- ヤッターマン(第2作)(黒芋ポタリ)
- 2009年
- 2010年
- 2011年
-
- イナズマイレブンGO(2011年 - 2013年、山菜茜、香坂幸恵 他) - 3シリーズ
- C(女子高生)
- スイートプリキュア♪(スイーツ部員、レナ、妹、女の子、女子生徒、女性)
- デュエル・マスターズ ビクトリー(2011年 - 2013年、プリンプリン) - 3シリーズ
- まじっく快斗(女子生徒E)
- 2012年
-
- たまごっち!(2012年 - 2014年、はるかぜっち、ナイトっち、はなふわっち、ちゃいなっち、もなトトっち、サッカー生徒、タクトっち、チェロっち、みどりっち、きいろバグっち、ちょーちょっち、きゃおっち、こねねっち 他) - 4シリーズ
- 2013年
-
- IS 〈インフィニット・ストラトス〉2(黒ウサギ隊)
- ジュエルペット ハッピネス(ユミカ)
- 2014年
- 2015年
- 2016年
-
- 宇宙パトロールルル子(メカケ)
- 2018年
-
- CONCEPTION(マナ[12])
- 2022年
-
- 連盟空軍航空魔法音楽隊ルミナスウィッチーズ(ジョーの母、アレック)
- アキバ冥途戦争(愛美・スーパーノヴァ・山岸)
- 2024年
- 2025年
-
- LAZARUS ラザロ(レポーター[16])
劇場アニメ
- アタゴオルは猫の森(2006年、ヒデ丸)
- 劇場版イナズマイレブンGO 究極の絆 グリフォン(2011年、山菜茜、青銅弾[17])
- 劇場版イナズマイレブンGO vs ダンボール戦機W(2012年、山菜茜)
OVA
- 魔法先生ネギま! 〜もうひとつの世界〜(2009年、電子精霊C)
Webアニメ
- 君に届け 3RD SEASON(2024年、高橋千草)
ゲーム
- イナズマイレブンGO(2011年 - 2012年、山菜茜、オルカ) - 2作品[注 1]
- イナズマイレブン ストライカーズ(2011年 - 2012年、山菜茜、青銅弾、オルカ、ゴブリス) - 2作品[注 2]
- CONCEPTION 俺の子供を産んでくれ!(2012年、マナ[18])
- マックス アナーキー(2012年、アイリン)
- リング☆ドリーム 女子プロレス大戦(2013年、スジャータ、磯部かんきち、水星ケア)
- CONCEPTION PLUS 俺の子供を産んでくれ!(2019年、マナ[19])
- デュエル・マスターズ プレイス (愛の無限オーケストラ、永遠のプリンプリン、サイバー・N・ワールド)
ラジオ
- おしゃべりやってまーす(2003年 - 2004年、K'z Station) - 金曜日担当。ゆりん名義
- ENEOS ON THE WAY COMEDY 道草(2007年 - 2008年、JFN系ネット) - 不定期
ラジオドラマ
ドラマCD
- アイドルマスター Innocent Blue for ディアリースターズ(サイネリア)
- イナズマイレブンGO ドラマCD「永遠の絆!!」(山菜茜)
- 黒子のバスケ BD&DVD 第2巻 初回特典SPECIAL CD(アナウンス)
- クロム・ブレイカー(ハトコ)
- ひみつの悪魔ちゃん(灰田一志(幼少期))
- “文学少女”(一年生)
吹き替え
映画
- ハンナ・モンタナ/ザ・ムービー(2010年)
ドラマ
テレビ番組
- 5ファースト・デート(リリー)
アニメ
- スーパー・ロボット・モンキー・チーム・ハイパーフォース GO!(2006年、ジンメイ)
- ツリーハウスたんていだん(ミリー)
- マジック・スクール・バス2(ドロシーアン)
- 新マジック・スクール・バス(ジョーティー・カウアー)
CMナレーション
- LION アクロン「のびヨレぴん」篇
- なめらか本舗
- サントリー『胡麻⻨茶』
- ハウス食品 クリームチャウダー
- ユナイテッドアローズ グリーンレーベルリラクシング「恋するレーベル・やまとなでしこ」篇
- ルームズ大正堂「プラス ワン!」篇
- ピップ スリムウォーク
テレビ番組ナレーション
- 『チョコプラあきたメシ』(ABS)(2020年)
- 『BCリーグ ドキュメンタリー』(Amazonプライム・ビデオ) (2020年 - )
- 『北海道独立宣言』堀江貴文プレゼンツ(HBC) (2019年)
- 『渋谷オルガン坂 生徒会』(DHC TV) 3時のヒロイン、おかずクラブ、ジャングルポケット等人気芸人の皆様と共 に美容コーナー担当)(2019年〜2021年)
- 『ギア猿 資生堂企業対抗レディース ゴルフトーナメント2019』(Jスポーツ)(2019年)
- 『ギア猿 資生堂企業対抗レディース ゴルフトーナメント2020』(Jスポーツ) (2020年)
- 『わが家』ドキュメンタリー(BS NHK)
モデル・タレントとしての活動
レギュラー番組
- 『王様のブランチ』〈2003年1月 - 2004年9月、リポーターとしてロケ、スタジオ共に出演〉(TBS)
- 『王様のお夜食』山崎邦正、Take2、TIM等と毎共演(TBS)
- 『ブランチショッピング』王様のブランチ〜ショッピング通販番組(TBS)
- 『志村通』『志村運送』〜志村けん、優香、ダチョウ倶楽部達と共演(2004年10月 - 2005年9月、フジテレビCX)
- 『さまぁ〜ずげりらっパ』<さまぁ〜ずと毎ロケ>(2005年5月 - 2006年9月、メ〜テレNBN)
- 『ろみひー』<ヒロミ司会>(CTV)
- 『朝は楽しく』<朝の情報番組リポーターとしてロケ、スタジオ共に出演>(TX)
- 『ひろしま菜ズ』地元広島でのJAグループ提供の地産地消推進番組(HOME)
- 『夢の扉〜next door』(TBS)
ゲスト出演
- 踊る!さんま御殿!!(NTV)
- さんまのスーパーからくりテレビ(TBS)
- 志村どうぶつ園(NTV)
- ダウンタウンDX(yTV)
- 出没!アド街ック天国
- 笑っていいとも(フジテレビCX)
- 迷宮美術館(NHK)
- 笑の棲家(NHK)コント番組
- お好みワイドひろしま(NHK広島)
- 新春かくし芸大会(フジテレビCX)
- ビーバップハイヒール(ABC)
- 愛のエプロン(EX)
- プロの動脈(yTV)
特番
- オールスター感謝祭(TBS)
- ウルトラストロング ゲーム〈嵐と共にオーストラリアを舞台にシドニー→ ゴールドコースト→グレートバリアリーフ→ハミルトン島→ケアンズを巡る〉 (NTV)
- 占い師100人にききました(MBS)
CM
モデル
- 『non-no』ファッション雑誌
- 鈴乃屋着物ショーin ホテルニューオータニにて宮沢りえと共演
- ちふれ化粧品
- ブライダルショー/ブライダル雑誌 関係多数出演
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h “ゆりん”. ホリプロ. 2007年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月2日閲覧。
- ^ a b “芸名ネット公募「ゆりん」で~す”. Sponichi Annex. (2003年1月28日). オリジナルの2003年2月5日時点におけるアーカイブ。 2021年3月31日閲覧。
- ^ “ゆりん|ホーリーピーク”. ホーリーピーク. 2007年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月9日閲覧。
- ^ “ゆりん|アーツビジョン”. アーツビジョン. 2010年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月9日閲覧。
- ^ “ゆりん|アクセント”. アクセント. 2021年3月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月9日閲覧。
- ^ ユリン千晶 [@yurinno0618] (2021年4月1日). "この度、9年間お世話になりました(株)アクセントを退社いたしまして、2021年4月1日よりフリーのナレーター・声優としてリスタートいたしました。". X(旧Twitter)より2021年4月7日閲覧。
- ^ 青二プロダクション【公式】 [@aoni_official] (2024年11月1日). "【新加入のお知らせ】". X(旧Twitter)より2024年11月1日閲覧。
- ^ a b “ユリン千晶 PROFILE”. yurinstyle.com. 2022年1月9日閲覧。
- ^ “僕等がいた”. メディア芸術データベース. 2022年5月9日閲覧。
- ^ “追加キャスト決定!!”. スペース☆ダンディ 公式サイト (2013年10月25日). 2013年10月25日閲覧。
- ^ 『花とゆめ』2015年1号、白泉社、2014年12月5日。
- ^ “Staff&Cast”. テレビアニメ「CONCEPTION」公式サイト. 2018年9月5日閲覧。
- ^ 第3話初出
- ^ 第5話初出
- ^ 第12話初出
- ^ 第2話初出
- ^ 『アニメージュ』2012年1月号より
- ^ “CHARACTER”. CONCEPTION公式サイト. 2012年4月2日閲覧。
- ^ “キャラクター”. CONCEPTION PLUS 俺の子供を産んでくれ!. スパイク・チュンソフト. 2019年1月21日閲覧。
外部リンク
- 公式サイト
- ユリン 千晶│株式会社青二プロダクション
- ユリン千晶 (@yurin._style) - Instagram
- ユリン千晶 (@yurinno0618) - X(旧Twitter)
- ゆりんオフィシャルブログ「ゆりんのいっぱい食べます。 - Ameba Blog(2012年4月 - 2017年1月)
浜松市交通部
![]() | この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2011年3月) |
浜松市交通部(はままつしこうつうぶ)は、かつて浜松市が地方公営企業法及び浜松市条例に基づく地方公営企業として経営していた、一般乗合旅客自動車運送事業(路線バス)・一般貸切旅客自動車運送事業(観光バス)を管轄する部署である[1]。通称を浜松市営バスという。
沿革
草創期
浜松市営バスの運行計画は、大正末期から表面化してきたが、当時は市街電車論に押されたり、昭和恐慌による政府の財政緊縮化政策等の影響を受け、実現には至らなかった。その後、1932年に具体的な計画が立てられた。これは、伊場船越線、師範学校天神線、中沢向宿線、高射砲浅田線の4線からなる路線網を新たに運行するというもので、この案をもって、同年に県知事に市営自動車運転許可願を提出した。翌年に自動車交通事業法の施行されることもあって、これは差し戻され、1934年に改めて国に事業免許を申請した。しかし、既に市内の交通網は民間事業者によって整備されていたため許可にはならなかった。
その2年後の1936年に、市は独自路線の計画案を変更し、浜松循環自動車と中田島自動車の2社を買収する計画を打ち出した。これは、当時市が隣接町合併による市民の足の確保を急いでいたことと、上記の2社の経営事情があまりよくなかったことの利害関係の一致によるものである。この時期にも市内電車論は少なくなかったが、戦前の浜松市は極めて道路が狭く、バスの新設が現実的だったようである。こうして、1936年8月1日に上記2社を買収し、市営バスが誕生した。当初の市の担当箇所は、商工課自動車係とした。
当時の路線は、西廻線、東廻線、北廻線、佐鳴湖線、中田島線の5線である。なお、北廻線は買収当時運休しており、市営バスとしての開通は、1936年12月15日である。その当時の各線の運行本数を下に示す。
路線名 | 区間 | 運行本数 |
---|---|---|
西廻線 | 駅前-鴨江-広沢-追分-元浜-馬込-駅前 | 鴨江先廻り:72, 元浜先廻り:60 |
東廻線 | 駅前-龍禅寺-向宿-天神町-佐藤町-駅前 | 龍禅寺先廻り:15, 佐藤町先廻り:15 |
北廻線 | 駅前-野口-助信-中沢-元城-駅前 | 野口先廻り:17, 元城先廻り:17 |
佐鳴湖線 | 駅前-栄町-高町-広沢-小藪 | 夏期運転 |
中田島線 | 駅前-龍禅寺-瓜内-中田島 | 夏期運転 |
その後、上記5路線を中心に車両数の増加を行い、1943年には1937年に比べて2.4倍もの乗客数の増加となった。しかし、1945年6月に浜松市は大空襲を受けることとなり、市営バスも運行不能となった。
発展期
戦災直後の稼働台数は5台だった。
戦後は市の復旧が行われ、また、1949年から1955年頃には周辺の町村との合併が実施された。これによる市域の拡大に伴い、市営バスの路線の拡張が行われた。特に、昭和30年代は、市民の要望と乗客サービスの向上のために、路線の拡張及び車両の整備増強に努め、運行回数の増加なども行った。その結果、1964年には年間乗降客数が2384万人にまで達し、市営バスの歴史の中で最多記録となった。
経営健全化実施計画
しかし、その後は乗客は減少することとなり、経営が悪化したため、これを健全化すべく、浜松市自動車自動車運送事業経営協議会、浜松市自動車運送事業懇談会及び浜松市自動車運送事業対策協議会を設置し、内外より意見を求め、これを踏まえ、経営健全化実施計画等(第一次:1967-1973年度, 第二次:1973-1977年度, 第三次:1978-1982年度)をたて、不採算路線の整理統合およびワンマン化の実施等を実施した。路線の整理統合により、路線網の形状は変化したが、路線によっては延長も行われたため、免許キロ数はあまり変化していない。なお、ワンマン化の達成は1972年であった。
しかし、市営バスをとりまく環境は年々厳しくなり、上記の計画の実行は思うように進まず、経営は悪化した。これにより、財政面において大きな危機に立たされたと市は認識していたようである。
民間移管
財政危機を受けて浜松市営バスは新たな道を探ることとなり、1983年11月には対策協議会から市長に対して3年を目処にした民間事業者への移管が答申された[2][3]。市当局・遠州鉄道(遠鉄)・監督関係官庁の協議の結果、1984年1月12日に「浜松市自動車運送事業の民営移管等に係る実施計画」が策定され、以下のように浜松市から遠鉄に路線の移譲が行われた(以下の線名は浜松市営当時のものであり、移譲後の遠鉄による路線再編は反映されていない)。なお、北じゅんかん(浜松駅-助信-浜松駅)は遠鉄に移譲されず廃止された。
- 1983年4月1日:浅田中田島線、米津線
- 1984年4月1日:福塚線
- 1984年9月1日:中田島線、芳川線
- 1985年4月1日:上西線、さぎの宮線、早出蒲線、佐鳴湖線
- 1986年4月1日:西じゅんかん、さなる台線、山の手線、萩丘線
- 1986年12月1日:住吉線、車庫線
1986年12月1日の2路線の移譲をもって、市営バスは50年の歴史に幕を下ろした[4]。
また、貸切バスは、「市営観光バス」の名で親しまれたが、こちらも1984年4月1日に遠州鉄道に移管されている[5]。
年月 | 免許キロ | 停留所数 | 運行回数 |
---|---|---|---|
1936.8 | 25.0 | - | 215 |
1945.3 | 26.4 | 92 | 92 |
1950.3 | 37.7 | - | 238 |
1955.3 | 73.1 | 219 | 613 |
1960.3 | 101.6 | 313 | 1049 |
1965.3 | 111.7 | 323 | 1382 |
1970.3 | 117.0 | 328 | 1511 |
1975.3 | 105.0 | 288 | 1619 |
1980.3 | 98.1 | 263 | 1138 |
1982.11 | 91.6 | 226 | 1224 |
1984.3 | 73.6 | 196 | 1077 |
1985.3 | 53.9 | 150 | 915 |
1986.3 | 30.9 | 89 | 652 |
1986.11 | 12.9 | 35 | 226 |
車両
概説
いすゞ・日野・三菱(現:三菱ふそう)の3メーカーの車輛を導入していた。遠鉄バスと同じく日野車は富士重工業製ボディを架装。
同じ浜松市内を走る遠鉄バスの車輛とは仕様が異なり、短尺車、二段窓、中扉がスライドドア、床が木張り、側面方向幕が中扉後部などの違いが有った。
また、新車の他にも遠州鉄道からの中古車が導入されていた。
車番
車番は、登録番号とは別に3桁の番号が与えられ、いすゞ製が300番台、日野製が500番台、三菱ふそう製は当初400番台が付番されていたが1960年頃に800番台へ変更されている。100番台はトヨタ自動車、200番台は日産自動車、600番台は三菱ローザ(マイクロバス)、700・900番台は欠番だった。
出典
- ^ 浜松市営バス記念誌 1987, p. 26, 「交通部制の発足」.
- ^ 浜松市営バス記念誌 1987, pp. 91–92, 「浜松市自動車運送事業対策協議会の開催と答申」.
- ^ 浜松市営バス記念誌 1987, pp. 233–239, 答申書「浜松市自動車運送事業の今後の在り方について(昭和58年11月17日)」.
- ^ 『鉄道ジャーナル』第21巻第4号、鉄道ジャーナル社、1987年3月、135頁。
- ^ 浜松市市長室自動車運送事業清算事務局 編『浜松市営バス記念誌』浜松市市長室自動車運送事業清算事務局、1987年3月、120頁。全国書誌番号:87034086。
参考文献
- 浜松市市長室自動車運送事業清算事務局 編『浜松市営バス記念誌』浜松市市長室自動車運送事業清算事務局、1987年3月。国立国会図書館書誌ID:000001856605。
関連項目
固有名詞の分類
- ゆ~りんのページへのリンク