みまさかこくぶんじあととは? わかりやすく解説

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美作国分寺跡

名称: 美作国分寺跡
ふりがな みまさかこくぶんじあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 岡山県
市区町村 津山市国分寺
管理団体
指定年月日 2004.02.27(平成16.02.27)
指定基準 史3
特別指定年月日
追加指定年月日 平成21.07.23
解説文: 美作国分寺跡は、岡山県東北部吉井川近く台地上に所在する古代寺院である。遺跡地には現国分寺があり、伝承周辺礎石、古瓦の散布状況から、この地に国分寺跡が存在することが想定されていた。こうした状況を受け、昭和51年度から54年度にかけて、美作国分寺跡の内容確認保存目的津山市教育委員会発掘調査行ったその結果、南から南門中門金堂講堂一直線並び中門と金堂を回廊連結し、その東南に塔が位置するという、典型的な国分寺式の伽藍配置をとることが明らかとなったまた、講堂北方には別の礎石建物があること、寺域はほぼ2町四方であることも判明したその後平成12年度には塔跡確認調査行っている。
 金堂寺域のほぼ中心に位置し基壇東西37.3m、南北22.4mに復元される礎石遺存していなかったが、抜取穴を1箇所確認した基壇周囲には幅1.3mの玉石敷き犬走りがあり、その外周に幅75cm深さ15cm玉石組の落溝が巡る。講堂東西29.7m、南北19mの基壇で、外装には磚を立て並べる。西辺で、落とし込まれ礎石を1個検出している。中門桁行5間、梁行2間と推定され玉石積み基壇外装認められるが、これは改修時のものと思われる
 回廊基壇幅が8.3mと復元でき、玉石積み基壇外装をもつ。礎石痕跡確認できなかったが、基壇幅から複廊であった考えられる回廊全体規模は、心心南北57.7m、東西90.4mとなる。塔は、基壇規模一辺18.4mと推定される礎石関わる施設は削平されていたが、基壇周囲に幅1.8mから2m玉石敷き犬走りがあり、その外周に幅0.8mの玉石組の落溝が巡る。南門は棟通り礎石抜取穴を3間分検出し桁行5間、梁行2間と推定される東側で、基壇4m築地取り付くことを確認した講堂の北約50mにある礎石建物は、南北規模8.6mの基壇一部検出したのみで、東西規模不明である。1箇所礎石据付痕跡検出し梁行3間の東西建物建っていたと想定される位置的に見て僧坊とも考えられる。これらの年代出土遺物から、天平13年741)の国分寺建立詔からほどなく造営され平安時代末には衰退したものと考えられる
 出土遺物には土器、瓦?類、八稜鏡石帯などがあり、特に創建期の軒瓦文様平城宮東区朝堂院上層礎石建物所用瓦と酷似することが注目される
 美作国分寺跡は主要な伽藍配置判明し、特に金堂、塔周辺石敷がよく残るなど、遺構残存状況良好である。出土した瓦からは、中央政府との強い関係が想定され国分寺造営実態をよく示すとともに古代美作国政治情勢を示す上でも貴重である。よって、史跡指定し保護図ろうとするものである



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