みぐくるみたまじんじゃとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 神社データベース > みぐくるみたまじんじゃの意味・解説 

美具久留御魂神社

美具久留御魂神社
みぐくるみたま

ご祭神 美具久留御魂大神
   (大国主命荒御魂神)

相殿  天水分大神、国水分大神水波廼米大神
    須勢理比売大神木花咲耶比売大神

摂末社 利雁神社、郡天神社熊野貴平神社
    皇大神社南木神社稲荷神社白雲宮、
    英霊
鎮座地 大阪府富田林市宮町三丁目
 ※近鉄あべの橋駅河内長野行き乗換喜志駅下車0.7�H(あべの橋駅喜志駅間 約35分)
拝殿 拝殿へ続く階段
 美具久留御魂神社の本殿の裏山には4基からなる古墳群があり、神体山となっている。御山中腹鎮座する本殿へは階段参拝道が設けられている。下拝殿・上拝殿があり、どちらからも参拝出来るようになっているまた、拝殿横から続いている一の宮参拝道は、本殿を囲む形で設けられており、御神木併せて方角先々鎮座する一の宮遥拝所設けられている。

 祟神天皇(人皇第十代)時代、この地に大蛇多く出没し農民悩ましたので天皇は「これは大国主神荒御魂荒ぶなり。よろしく祀るべし」とおっしゃったその頃丹波の国の氷香戸(ひかとべ)の子に「玉藻鎮石。出雲人祭、真種之甘美鏡。押羽振、甘美御神、底宝御宝主。山河水泳御魂。静挂甘美御神、底宝御宝主也。」(たまものしずいし。いずもひとのいのりまつる、またねのうましかがみ。おしはふる、うましみかみ。そこたからみたからぬし。やまかわのみくくるみたま。しずかかるうましみかみ、そこたからみたからぬし)という神のお告げがあり、天皇はそれをお聞きになって活目入彦命(いくめいりひこのみこと・垂仁天皇)を河内国支子(さし)に遣わし当社を祀らせ、美具久留御魂神社と御名称えまつられのである
 このお告げは「出雲大神大国主命であり、大国主命山河泳ぎ渡ってきた和爾(わに)神(龍神)であり、水泳御魂大神(みくくるみたまのおおかみ)である」と美具久留御魂大神御神体明らかにされたのである

 美具久留御魂神社は歴代天皇からの崇敬厚く文徳天皇嘉祥三年(850)には神階従五位上進められ光孝天皇河内大社勅額奉納された。
 また延喜式には官幣に列せられ当国二の宮石川郡総社とも称せられた。南北朝時代には南朝歴代のご信仰厚く、また楠木氏は、上水分社(建水分神社 千早赤坂村鎮座)と共に神社下水分社称し氏神として信仰してきたので、戦乱の間にも朝廷はしばし参拝されたり社殿造営され治世安泰お祈りされた。

 平安時代、正東山という神宮寺建てられ隆盛向かった鎌倉時代末、鎌倉方赤坂城攻めたとき、西条城喜志と共に焼き払われたが、間もなく再建され天正の頃には十七坊に及び香をたく煙が漂い儒教教典を読む声が神山こだまする一大霊地となっていた。
 天正十三年(1585)豊臣秀吉根来攻め兵火浴び、再び灰燼帰した以後数十年間復興されなかったが万治元年(1658)から復興はじまり、三年にはほぼ元通りの姿を取り戻した明治入って氏神合祀し厄難消除縁結び御神徳、またすべての生業守護神として信仰集めている。
 平成六年、氏神崇敬者篤志により、本殿摂末社および拝殿社務所等の大改築がなされ、同八年完成する

 御山頂上付近御神木で、一番大きな。 あちらにもこちらにも、とにかく多かった
 上拝殿付近お掃除されているおじさんは、御山の手入れ任されているとのこと頂上付近は、おじさん造った囲いがしてあり、禁足地になっている









英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

みぐくるみたまじんじゃのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



みぐくるみたまじんじゃのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
神社ふり~く神社ふり~く
Copyright © 2024 ななかまど All Rights Reserved.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS