べが (2代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/17 22:32 UTC 版)
べが (2代) | |
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青森港へ入港するべが
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基本情報 | |
船種 | フェリー |
船籍 | ![]() ![]() |
所有者 | 東日本フェリー |
運用者 | 東日本フェリー 川崎近海汽船 |
建造所 | 三菱重工業下関造船所 |
姉妹船 | べにりあ、びるご (2代)、びるたす |
IMO番号 | 8921767 |
改名 | DHARMA RUCITRA.1(2013-) |
経歴 | |
進水 | 1990年3月 |
竣工 | 1990年 |
就航 | 1990年12月15日[1] |
運航終了 | 2013年6月30日 |
現況 | ![]() |
要目 | |
総トン数 | 6,340トン[1] |
全長 | 134m[1] |
全幅 | 21.0m[1] |
機関方式 | ディーゼル |
出力 | 9100PS×2基 |
航海速力 | 20.0ノット[1] |
旅客定員 | 600名[1] |
車両搭載数 | トラック96台、乗用車20台[1] |

べが(VEGA)は、東日本フェリーと川崎近海汽船が運航していたフェリー。本項目では1990年に就航した2代目を取り扱う。
概要
1990年に苫小牧 - 八戸航路に就航[1]、2006年11月に東日本フェリーが同航路から撤退したため、同社と共同運航をしてきた川崎近海汽船がリースを受ける形で2013年まで同航路で運航を続けていた。2005年に船内の改造を受けている。
2013年7月より、本船の代替となる新造船シルバーエイト (SILVER EIGHT) が就航したため、本船は6月30日に運航を終了した[2][3]。また、2013年まで、本船は北海道と青森県を結ぶ旅客航路において唯一レストランが設置されていたフェリーだった。
引退後は、函館港の津軽海峡フェリーターミナルに係船された後、インドネシアに売却されDHARMA RUCITRA.1となり、ジャワ島のMerakとスマトラ島のbakauheniを結ぶ航路に就航している。当初、船籍はキリバスであったが、インドネシアに変更されている。
設備
Aデッキ
- 特等室(3室)
- レストラン
- 展望室
- ゲームコーナー
Bデッキ
- エントランスホール
- 2等和室(8室)
- 1等洋室(12室)
- 1等和室(5室)
- ドライバーズルーム(2室)
- 浴室
脚注
- ^ a b c d e f g h 苫小牧~八戸に新造船東日本の"べが" - 内航近海海運1991年1月号(内航ジャーナル)・
- ^ 八戸/苫小牧航路 新造船「シルバーエイト」投入のご案内 Archived 2013年3月8日, at the Wayback Machine. - 川崎近海汽船(2012年11月5日付、2013年4月4日閲覧)
- ^ 新造船は「シルバーエイト」、来年7月デビュー - Web CRUISE (海事プレス社、2012年11月7日付、2013年4月4日閲覧)
外部リンク
- 船舶紹介 - SEA ROAD シルバーフェリー(川崎近海汽船)
- 東日本フェリーの船舶紹介 べが - 東日本フェリー(Internet Archive)
- MarineTraffic.com - DHARMA RUCITRA 1 - 自動船舶識別装置(AIS)による現在位置表示
「べが (2代)」の例文・使い方・用例・文例
- 政府もなすすべがないようだ。
- どこからかハープの流麗な調べが聞こえてきた。
- シチューのなべがレンジの上で沸騰していた.
- その調べが何日も私の頭の中で巡った.
- 同じ調べが頭の中でぐるぐる回った.
- その政治家は収賄容疑で取り調べられると, 居直って検察当局の取り調べが不当に苛酷だったと訴えた.
- 囲炉裏の上に大きななべがかかっていた.
- こんろになべがかかっている.
- しらを切ってもむだだ, お前が一枚かんでいることはちゃんと調べがついているんだから.
- 門前にたたずむと, あの人が弾くやさしい琴の調べが聞こえてきた.
- 妙なる調べがどこからともなく流れてきた.
- 別れ道の道しるべが山頂を示していた.
- 彼らには放射性降下物から身を守るすべがなかった
- 理解するすべがなく説明できないもの
- 雌しべが生まれる肥大した花托
- おしべやめしべがある,花の中心部
- 不登花という,雌しべが不完全で種が出来ない花
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