第二大函丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/05 07:45 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動| 第二大函丸 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 船種 | フェリー |
| 船籍 | |
| 所有者 | 北海道離島航路整備[1] 道南海運[1] 特定船舶整備公団[1] 東日本フェリー(1965-1971) 東日本海フェリー(1972-1983) |
| 運用者 | 東日本フェリー(1965-1971) 東日本海フェリー(1972-1983) |
| 建造所 | 下田船渠[1] |
| 改名 | 第二大函丸 第三陸奥 |
| 経歴 | |
| 起工 | 1965年3月30日[1] |
| 進水 | 1965年6月14日[1] |
| 竣工 | 1965年7月23日[1] |
| 就航 | 1965年7月23日 |
| 運航終了 | 1983年 |
| 要目 (フェリー時代) | |
| 総トン数 | 479.79トン[1] |
| 載貨重量 | 174.4トン[1] |
| 全長 | 48.35m[1] |
| 垂線間長 | 45.0m[1] |
| 喫水 | 2.57m[1] |
| 機関方式 | ディーゼル |
| 主機関 | 阪神内燃機26DBSH 1基[1] |
| 出力 | 1200 PS |
| 最大速力 | 14.45ノット[1] |
| 航海速力 | 13.50ノット |
第二大函丸(だい2たいかんまる)は、東日本フェリーが運航していたフェリー。
概要
1965年7月23日、大函丸 (初代)に続いて大間~函館航路に就航した。 1968年、戦車搭載性能調査を実施、陸上自衛隊のM4中戦車を搭載した。
1971年に売船され、東日本海フェリーが購入、船首ランプを閉鎖して船首を取り付け、デッキ屋根を撤去するなど改造を受けた。 1972年5月より奥尻航路に就航、その後、1983年に引退した。
その後、青森県の建設業者である高重組に売却され、福井造船で船橋以外の上部構造物を撤去、船体を短縮する大改造を行い、1985年1月にサプライボート船型の曳船、第三陸奥として竣工、関根浜港の建設工事に従事した[2]。
脚注
|
||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||
第二大函丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 14:26 UTC 版)
「ハートランドフェリー」の記事における「第二大函丸」の解説
※この「第二大函丸」の解説は、「ハートランドフェリー」の解説の一部です。
「第二大函丸」を含む「ハートランドフェリー」の記事については、「ハートランドフェリー」の概要を参照ください。
- 第二大函丸のページへのリンク