へいじょうきゅうせきとは? わかりやすく解説

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平城宮跡

名称: 平城宮跡
ふりがな へいじょうきゅうせき
種別 特別史跡
種別2:
都道府県 奈良県
市区町村 奈良市佐紀町二条大路南法華寺町
管理団体 奈良県(大12・1213)
指定年月日 1922.10.12(大正11.10.12)
指定基準 史2
特別指定年月日 昭和27.03.29
追加指定年月日 平成3.06.10
解説文: 和銅三年元明天皇奠都以来七十餘年皇居ノ在リシナリ指定スル所ハ主トシテ大極殿阯ト推定セラルヽ地域及其ノ左右ニ在ル土壇土壘ト覺シキモノノ殘存セル部分トナス當時礎石磚瓦等ノ類亦發見セラル
奈良時代七十余年の間の皇居で、その遺跡として顕著なものは、朝堂院跡とその西につづく内裏跡認められるところを中心とする地である。朝堂院南面する大極殿跡の基壇正面として、その前面に、内に湮滅したところもあるが、朝堂朝集殿始めとして廻廊、門等の遺構存し大極殿側背にも廻廊建物遺構認められる。また朝堂院東部にも土壇があり、また北東部近く水上方面から南下する溝の一部があって注意すべきである
内裏跡大宮の地字をとどめまた建物の跡と思はれる基壇を遺している。
もとより宮跡の全貌はなお詳でない憾があるが整然たる配置をなす堂々たる殿堂面影も偲び得られ奈良時代政治文化中心として歴史上占め意義大きく学術上の価値極めて高い。
S53-12-042[[平城宮跡]へいじょうきゅうあと].txt: 平城宮跡南辺部の既指定地概ね大垣の線までであるが、、その大垣外側にある〓(*1)地・溝等、及び朱雀門ほか2つ門跡一部南側指定地域となっている。しかして最近数年わたって回を重ねて検討してきた平城宮跡保存整備基本構想定まり今後逐次実施計画段階入りつつあるが、この南辺部の状況は、一部除いて大部分水田地帯地下遺構遺存度も良好であることが予想され加えて東一坊大路跡と二条大路跡の交叉地点には橋梁その他の遺構発掘調査結果判明しており、平城宮跡を理解する上で重要な地域といわねばならない
S44-12-026平城宮跡.txt: 平城宮跡はすでに指定大正11年10月3日史跡指定昭和11年7月14日追加指定昭和27年3月29日特別史跡指定昭和40年6月14日追加指定)された地域加え平城宮東面南門推定地において、この門が左京一坊大路閉鎖して南に向き大路それより北に進み得ないこと、その東約250メートル地点築地東南曲り角存在しその内側に園地遣水建物など遺構存すること、また東南隅より北500メートル地点に、宮域の東を限る築地遺構存することなどが確認されいわゆる東院地区範囲がほぼ明らかになったので、築地外の[[〓(*1)地]せんち]・溝をふくめて追加指定する
S39-06-003平城宮跡(特別史跡.txt: いわゆる方八町の平城宮跡のうち、昭和27年特別史跡指定されている部分の西に隣接する指定地域追加するのである



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