田原のカッコスリとは? わかりやすく解説

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田原のカッコスリ

名称: 田原のカッコスリ
ふりがな たわらのかっこすり
種別1: 民俗芸能
保護団体名: 多治神社民俗芸能保存会
選択年月日 2000.12.27(平成12.12.27)
都道府県(列記): 京都府
市区町村(列記): 船井郡日吉町田原
代表都道府県 京都府
備考
解説文:  田原のカッコスリは、地元多治神社の秋の祭礼折りに、稚児【ちご】を中心に、鼓【つづみ】や太鼓【たいこ】、笛の演奏者踊り手が、踊り手の歌にあわせ踊るもので、中世流行した風流ふりゅう】踊の様子うかがわせる
 この多治神社の秋の祭礼は、平成九年から、十月十五以前の、それに近い日曜日になったが、以前十月十五日に行われ、さらに明治三十七年一九〇四)の記録では十月八日行われ江戸時代の記録には七月八日行われてきたとある。
 カッコスリとは、今は伝承全体の名称であるとともに稚児のまわりで鼓を持って踊る人を指すが、江戸時代の記録では、稚児もカッコスリと呼んでいたことがわかり、稚児付けた鞨鼓【かっこ】にちなむ名称とされる。ただし近年稚児鞨鼓付けることが、とだえていた時期があり、神社保存されていた鞨鼓を、あらため稚児付けようになったのは昭和五十八年からである。
 地元では祭礼前夜社務所仕上げ練習をして、祭礼当日午前中に神社社務所関係者集まり衣裳をつけて社務所座敷で踊る。その後社殿での神事終了後に、拝殿の前の広場踊り御輿【みこし】の行列とともに移動して地区内の若宮わかみや】社境内踊り、さらに進んで御旅所おたびしょ】に移動し、そこでも踊って終了する
 現在、胸に鞨鼓付けた四名の稚児、そのまわりに鼓を左手持って、それを打ちながら踊る四名、別に締太鼓しめだいこ】を持つ者が六名締太鼓打ち手六名御幣【ごへい】を付けた【さかき】のを持つサンヤレと呼ばれる者が四名、数名の笛の演奏者そのほか大勢踊り手がつく。稚児以外の演じ手は裃姿である。
 踊りは、中央稚児互いに向き合って立ち、そのまわり鼓打ち右回りに鼓を打ちながら踊る。その輪の外側四隅に、それぞれ持ったサンヤレが立ち、六人太鼓持ち太鼓打ちは、互いに向き合って一列に並ぶ。太鼓反対側に扇を持った踊り手と笛が並ぶ。なお踊り手わずかに足を動かしながら歌うだけである。
 このような構成は、中世流行した風流踊様子伝えるもので、芸能変遷過程および地域的特色を示すが、変容する恐れ少なくないのである



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