その他の戴極国の人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 07:39 UTC 版)
「十二国記の登場人物」の記事における「その他の戴極国の人物」の解説
驕王(きょうおう) 驍宗の前の泰王。治世124年。文治の王で、比較的兵卒は冷遇していた。慣例・道義・秩序を重んじ、急激な変化や改革を嫌って穏やかで堅実な治世を築いた。しかし一方で奢侈を好んでいたため、「寝にあっては暗、朝にあっては明」と評された。また派手な式典を好み、金銀を貼った甲冑を好んで着ていたが、氾王・呉藍滌からは悪趣味だと毛嫌いされていた。彼が崩御した後、王宮の蔵の中には借用書しかなかった。 去思(きょし) 江州の道観寺院・瑞雲観の道士。阿選の登極に疑義を唱えた瑞雲観が誅伐で壊滅した際の生き残りの一人であり、近隣の寒村・東架に隠れ住んで、丹薬(民間薬)を製造するための知識と設備を守り続けていた。東架を通りかかった泰麒と李斎に項梁と共に同行して文州へ向かい、道観との交渉や修行者の視点からの助言で驍宗捜索に協力する。 酆都(ほうと) 去思と知己の神農(丹薬の行商人)。驍宗と同じ委州の出身。文州周辺の地理に詳しく顔も広いことから、李斎らの道案内として同行する。阿選に反する仲間が増えていく中、識別のために薄墨の一本線を引いた旗印を考案し、「墨幟」という呼び名の切っ掛けを作る。 建中(けんちゅう) 文州琳宇の差配(坑夫の派遣役)。驍宗所縁の里・轍囲が誅伐で壊滅した際の生き残りであり、暇さえあれば函養山に通い驍宗を探し続けていた。 朽桟(きゅうさん) 文州の玉泉・函養山を支配する土匪の頭目。驍宗失踪時に乱を起こした土匪は何者かに操られていたことに気付いており、その後土匪を切り捨てた「何者か」を阿選と目した上で嫌悪している。李斎らが函養山付近で驍宗を捜索することを許し、酔狂と称しながらも何かと便宜を図る。驍宗拘束のため派遣された友尚軍との戦闘で党羽が半ば壊滅した後、阿選が玉座にいる限り生きる道は得られないとして、残党と共に墨幟に加わり戦死する。 赴葆葉(ふ ほよう) 文州の州都・白琅の郊外にある牙門観に住む豪商。驕王の奢侈によって為した財を、阿選の乱以降は反民に注ぎ込み、武器(冬器)を製造し騎獣や兵卒の残党を集めて、挙兵の準備をしていた。李斎らと意を通じた後は、墨幟の資金・武装面での支援者になるが、捕らえられた驍宗を救おうと墨幟が王師と戦っている最中、州師に攻められた牙門観と運命を共にする。 敦厚(とんこう) 文州冬官長司空大夫。葆葉と結託して反民の支援をしており、葆葉の下へ工匠を送り込み冬器を作らせ、反民の活動が表沙汰になりそうになると握り潰している。李斎に文州城内の現状と内応者の存在を伝えるが、阿選によって文州侯が挿げ替えられると城内での活動が不可能になり、墨幟の残党に身を寄せて、驍宗を諦めてでも阿選を討つ機会を窺うことを主張する。
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