島崎博(しまざき・ひろし)
1933年(昭8)、台湾生まれ。本名傳金泉。日本大学法学部、早稲田大学院卒。ワセダミステリクラブ出身。日本大衆文学研究会会員。別名浅井健、S。権田萬治は日本における身元引受人。文京区で古書店「風林書房」を営んでいた。足で折鶴を折ることができる。
1962年(昭37)、権田萬治、二上洋一らと「みすてりい」創刊。
1963年(昭38)、「宝石」の「作家の周辺」に作家の著作リストを連載。
1972年(昭47)、八木昇等、東京神田古書展の早出組の仲間と「麒麟の会」を結成し、「麒麟」の編集に携わる。「麒麟の会」の名付け親は島崎博。
1972年(昭47)、三島瑤子との共編で「定本三島由紀夫書誌」を刊行。
1974年(昭49)、日本大衆文学会の「大衆文学論叢」を「風林書房」より発刊。
1975年(昭50)、日本有数を誇っていた莫大な探偵小説に関する資料を背景に、「幻影城」編集人に就任。過去の名作探偵小説の再録や久しく筆を折っていた作家の新作、また探偵小説の評論を中心にした編集を行う。既存作家の反発もあったが、その一方で泡坂妻夫、栗本薫、連城三紀彦など数々の新人を発掘。
1976年(昭51)、株式会社幻影城を設立し、編集人と併せて「幻影城」の発行人に就任(発行人は1977年(昭52)まで)。さらに日本大衆文学会が発行していた「大衆文学論叢」の発売元を四号より「風林書房」より引き継ぐ。
1979年(昭54)、「幻影城」廃刊とともに、台湾に失踪。それとともに莫大な探偵小説に関する資料も散逸した。ライフワークとして、「日本推理作家書誌」(第一巻作家別作品目録、第二巻作家別著書目録、第三巻探偵小説参考文献目録、別巻探偵雑誌総目録)の刊行を目論んでいたが、その夢も潰えた。
台湾では傅博名義で雑誌「推理」の顧問を務めていたほか、黄淮名義で、評論家としても活躍。台湾において「日本時大推理名著全集」「日本名探推理系列」「日本推理名著大展」「推理文学館」など四十数冊の出版物がある。
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