がんの原因の理解史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 10:15 UTC 版)
がんを理解しようとする人たちは古代からおり、悪戦苦闘が繰り広げられてきた。 「Cancer」は古代ギリシア語「Καρκινοσ」(「カルキノス」, 「カニ」の意味)に由来する。あちこちに爪を伸ばし食い込んでゆく様子をこの言葉で表現した。「がんについての研究である腫瘍学を意味する「Oncology」の語源も、古代ギリシア語「Ογκος」(「オンコス」と読む。「塊」の意味)である。 紀元前1500年頃に書かれたエーベルス・パピルスにも癌に関する記述がある。 古代ローマのガレノス(2〜3世紀頃)は、がんは四体液の一つの黒胆汁が過剰になると生じる、と考えた(1500年頃までは医学の領域で「権威」とされていた)。ガレノスの後継者のなかには、情欲にふけることや、禁欲や、憂鬱が原因だとする者もいた。また同後継者には、ある種のがんが特定の家系に集中することに着目して、がんというのは遺伝的な病苦だ、と説明する者もいた。 18世紀後半を過ぎる頃になると、がんの一因として環境中の毒(タバコ、煙突掃除夫の皮膚につく煙突の煤、鉱坑の粉じん、アニリン染料が含有する化学物質 等)もあるのでは、とする説が、多くの人によって提唱された。 19世紀の中頃に、フィラデルフィアの外科医サミュエル・グロス(英語版)は「(がんについて)確実にわかっていることは、我々はがんについて何も知らない、ということだけである」と書いた。そして、そのような「何も知らない」という状況は、19世紀末の時点でも、ほとんど変わっていなかった。 それから1世紀が経過し、理解が進む度に研究者の間で新たな疑問が登場し、科学的な知識が徐々に増えてきた。がんの研究は研究者たちにとって多くの困難と挫折に満ちたものであった。 20世紀初頭には、「感染症は特定の微生物によって引き起こされる」という説を支持する例が実験によって多数確認されたため、他の病気も容易に解明されるだろうと考えたり、がんも解明されるだろうと予想する人は多かった。 1955年、オットー・ワールブルクは、体細胞が低酸素状態に長時間晒されると呼吸障害を引き起こし、通常酸素濃度環境下に戻しても大半の細胞が変性や壊死を起こし、ごく一部の細胞が酸素呼吸に代わるエネルギー生成経路を昂進させて生存する細胞が癌細胞となる説を発表した。酸素呼吸よりも発酵によるエネルギー産生に依存するものは下等動物や胎生期の未熟な細胞が一般的であり、体細胞が酸素呼吸によらず発酵に依存することで細胞が退化し癌細胞が発生するとしている。
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