『汽車のえほん』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:55 UTC 版)
「トップハム・ハット卿」の記事における「『汽車のえほん』」の解説
以下、原作の設定はウィルバート・オードリー執筆の書籍「Island of Sodor: Its People, History and Railways」及び息子クリストファー・オードリー執筆「Sodor: Reading Between the Lines」に記述されたものである。原作においては3人のトップハム・ハット卿が存在し、3人は直系の親子である。 初代(Sir Topham Hatt I (1880-1956)) 1894年、グレート・ウェスタン鉄道のスウィンドン工場にて修行を受け、1901年にソドー島のティドマスの建設会社「AW Dry&Co」に入社する。技師としてティドマス・ナップフォード・アンド・エルスブリッジ軽便鉄道(Tidmouth, Knapford and Elsbridge Light Railway)等の建設に携わり、1914年にノースウェスタン鉄道の建設を手掛ける。1923年にはゼネラルマネージャーとなり、1936年に重役に昇進した後1948年に鉄道が国有化された際に局長となり、鉄道経営の功績から準男爵位を授与される。製造、建造に関する功績としては、1905年から1908年に4台の垂直型ボイラーの機関車コーヒーポットを設計・製造した他、1915年にビカーズタウンとグレートブリテン島を結ぶ跳ね橋を設計・建設した。コーヒーポットはテレビ版の長編第10作『きかんしゃトーマス トーマスのはじめて物語』ではグリンという名前で登場し、跳ね橋も長編第8作『きかんしゃトーマス キング・オブ・ザ・レイルウェイ トーマスと失われた王冠』以降登場する。 1910年にジェーン・ブラウン(Jane Brown、映像化版におけるハット卿夫人)と結婚し、バーバラ・ジェーン(Barbara Jane)とチャールズ・トップハム(Charles Topham)という2人の子どもを授かる。その後1954年に局長を引退し、1956年にウェルスワースで死去する。享年76歳。 ・登場巻 - 『三だいの機関車』~『青い機関車エドワード』 2代目(Sir Charles Topham Hatt II (1914-1997)) 初代の息子チャールズが局長を引継ぎ、1954年から1984年までノースウェスタン鉄道局長を務めた。クロンクの学校を卒業後、クルーの工場で働くが1939年に王立工兵連隊として第二次世界大戦に参戦する。その後大佐となり1945年に兵役を終え、1952年にソドー島に戻るとクロバンズゲート工場(映像化版におけるソドー整備工場)の技師となるが、1954年に父親が局長を引退したことで2代目局長となり、1956年に準男爵位が継承された。 ナップフォード港の改修やアールズバーグ線、アールズデール鉄道の建設を手掛けた。1940年にアマンダ・クローリー(Amanda Croarie)と結婚し、ステファン・トップハム(Stephen Topham)とブリジット・ハット(Bridget Hatt)の2人を授かる。この2人はテレビ版でも登場しているが、ステファンはスティーブンと翻訳されている。 局長が第6~8巻にてシルクハットを脱ぐと髪の毛が全くなかったが、第15巻『ふたごの機関車』においてドナルドとダグラスのもとに向かうシーンでは後頭部に少し毛が残っている点から、この間に初代と二代目の局長が代替わりしていることを確認することができる。 ・登場巻 - 『ちびっこ機関車パーシー』~『わんぱく機関車』 3代目(Sir Stephen Topham Hatt III (1941-)) 1984年に3代目局長となり、1970年にヘレン・マーガレットと結婚した後3人の子どもを授かる。 ・登場巻 - 『機関車トビーのかつやく』(幼少期)、『Really Useful Engines』~『Thomas and his Friends』
※この「『汽車のえほん』」の解説は、「トップハム・ハット卿」の解説の一部です。
「『汽車のえほん』」を含む「トップハム・ハット卿」の記事については、「トップハム・ハット卿」の概要を参照ください。
- 『汽車のえほん』のページへのリンク