『決闘』
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「アレクサンドル・クプリーン」の記事における「『決闘』」の解説
「恐怖と無聊な軍隊生活」と発言していたクプリーンは軍隊生活の2年目に長編小説『決闘』を着想していたが、1904年になって本格的に執筆を開始、1905年5月3日に発表した。書き下ろした小説はクプリーン自身の若き日のカタルシス体験と密接に関連している。 「 「私は兵役期間によって蓄積された忘れ難い苦しみから自らを解放しなければならない。この小説を決闘と呼ぶ、それは私の決闘は... 帝国軍とともにあるからだ。軍隊は根源を無能にする、すべての人間の最大欲求を破壊し、人間の尊厳は失せる... 私は見てきたこと知ったことすべてについて書かなければならない。そして、私の小説で、帝国軍に対して決闘を申し込まなければならない。」 」 と妻に宛てた手紙の中で述べている。 小説『決闘』は、この年の文壇でセンセーションを巻き起こした。1905年に1900年代初頭にしては膨大な部数である約4万5500部を売り上げた。小説は1917年まで続いた論争を引き起こした。左側の批評家は『決闘』について「専制政治の棺内を新たに暴いた」と歓迎する、その一方、保守派は「統治体制に向けられた騙し討ち」と非難している。1人の士官はペテルブルク新聞紙面上でクプリーンに決闘を挑んだ。一方、1905年夏、20人からなる士官グループは感謝の気持ちを表する手紙を著者に書いた。『決闘』についてニコラス・ルーカーは「クプリーン作品の頂点... ロシア文学史における不朽の名声を保証された」と述べている。
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