『扶桑武侠演義』概略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 08:38 UTC 版)
『扶桑武侠演義』は架空世界「扶桑」を舞台にした年代記であり、全六巻八冊によって構成されている未完の作品である。原作者の秋霖斎梅月は煙草屋を営んでいたのだが、当時、同じく煙草入れの店を構えていた山東京伝と知己となり、彼に入門して戯作を志すようになる。享和3年(1803年)に『扶桑武侠演義』の執筆を開始。作品の挿絵は、同じ門下であった曲亭馬琴の紹介により、葛飾北斎の門人である「葛西北雨(かさいほくう)」が担当した。刊行の巻を重ねるたびに人気が出ていったが、文化3年(1806年)に起こった芝の大火により梅月は34歳の若さで死亡。作品は未完となる。 梅月は執筆にあたり、架空世界「扶桑」を詳細に創作することから開始した。「扶桑」は日本をモデルにした架空世界であり、日本の神話や歴史のオマージュも組み込まれている。このことから、扶桑世界は中国の伝奇小説風の世界でありながら、和風ファンタジーとしての要素ももつ、「和中折衷」ともいうべき世界観となっている。 梅月が作った扶桑世界の設定は膨大なものであり、扶桑の歴史を描いた『扶桑史記』、地誌を描いた『扶桑風土記』などが『扶桑武侠演義』とは別に書き残されている。このゲームの世界設定はこれらの副次刊行物から作られている部分も多い。なお、梅月が作った設定資料は刊行されていないメモなども大量にあったが大火により多くは失われている。 また、小林正親の六代前の先祖に、戯作者・山東京伝と交流があり、また、俳人・小林一茶の縁戚にあたる「小林嘉エ門(八代目 嘉エ門)」という人物がおり、読売(瓦版)や戯作本、役者絵と一緒に煙草を販売する、今で言うコンビニのような店を作り、財を築いたという。その煙草屋という商売から、当時、江戸京橋の南(現在の銀座一丁目)に紙製煙草入れ店を開いていた山東京伝と親しくなり、その門人となったが、彼の残した戯作・俳句などは戦災により全て焼失してしまっているという。
※この「『扶桑武侠演義』概略」の解説は、「扶桑武侠傳」の解説の一部です。
「『扶桑武侠演義』概略」を含む「扶桑武侠傳」の記事については、「扶桑武侠傳」の概要を参照ください。
- 『扶桑武侠演義』概略のページへのリンク