「SSカーズ」時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 17:35 UTC 版)
「ジャガー (自動車)」の記事における「「SSカーズ」時代」の解説
さらに1933年には、専用設計のシャシーを持つ「SS1」と「SS2」を発売しヒットさせ「SSカーズ」と社名を変更した。なお、「SS」の由来については諸説あるものの明らかになっていない。 これらのモデルは、同じイギリスの高級車で上のクラスに属するベントレーをも思わせる見栄えの良い外見と豪華な内装を備え、不況下でも大いに売れたが、エンジンは量産車メーカー・スタンダード製の実用エンジンで性能も凡庸であり、自動車専門家やカーマニア層からは「見かけ倒しのまがい物」と侮られていた。 その世評を打開するため、1935年には、ボディだけでなくエンジンとシャシーを含む全てを専用設計としたモデルを開発することに成功した。この新型車には今までと区別する意味から「ジャガー」という車名を新たに付け「SSジャガー2½」として発表、続いて大排気量エンジンを積んだスポーツモデル「SS90」「SS100」を相次いで投入した。 これらの新しいジャガー各車は従前からの優れたスタイリングと豪奢な内装に加え、強化されたエンジンと量産効果によるコストダウン戦略の導入で、先発の高級車に劣らない高性能を遙かに安い価格で実現しており(当時、1,500ポンドのベントレーにも比肩する高性能なジャガーが400ポンド足らずで販売された)、高い人気を得た。この頃から、上級車製造を事業の中核に移していった。上位メーカーに劣らない内外装デザインや性能を、相対的に安価で顧客に提供するというこの手法は、現在まで続くジャガーの基本ポリシーの1つとなる。 21歳の若さでサイドカー製造メーカーを設立したライオンズは、わずか13年で会社を著名な高級車メーカーへと発展させることに成功した。なお相方のウォームズレイは、事業の拡大に反対しSSカーズへの社名変更直前に会社経営から離脱している。 1939年9月に勃発した第二次世界大戦時には、戦時体制下において乗用車の生産は縮小せざるを得なかったが、軍用車両の委託生産などを行うことで糊口をしのいだ。なお同大戦において工業都市でもあるコヴェントリーは敵国のドイツ空軍から最も集中的に狙われた都市であり、SSカーズの工場も1940年と1941年の爆撃により甚大な被害を被った。
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