「麻生おろし」の暗闘と衆議院解散
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「麻生内閣」の記事における「「麻生おろし」の暗闘と衆議院解散」の解説
2009年(平成21年)2月の中頃から、自民党内でも「麻生おろし」の動きが表面化してきた。この状況下で民主党幹部の中には「私たちがやるべきことは首相を守ることだ。いたぶるけど辞めさせないことが大事だ」としてあくまで辞任に追い込みたい他の野党から一歩引いた姿勢を示すものもあった。 追い込まれた麻生内閣は、郵政民営化路線を見直す方向に舵を切り党内に残る反民営化勢力に訴えることで「麻生おろし」に対抗しようとした。2月5日の衆院予算委員会での「(郵政民営化に)賛成じゃありませんでした」との発言。当時郵政を所管する総務大臣だった麻生の発言に批判が集まると「最初は賛成ではなかった。しかし2年間にいろいろ勉強させていただいて、(中略)民営化したほうがいいというように最終的に思いました」と2月9日に訂正した。郵政選挙で得た自公の衆議院過半数を基として成立ている内閣が、解散もせず、その時点での選挙の民意である郵政民営化に逆行すると捉えられかねない動きをすることに対して、2月18日に小泉元総理が「呆れたを通り越して、笑っちゃう」と発言し一連の動きを抑え込んだ。しかし、日本郵政社長西川善文社長人事問題では「総務大臣が適切に判断されるものと思います」と西川社長の退任を図ろうとする鳩山邦夫総務大臣を繰り返し擁護。郵政造反復党組の野田聖子消費者行政担当大臣も「総務大臣が判断すればいい」と発言。しかし、5月18日の指名委員会による西川社長の続投が決まり、自分と差し違えても西川退陣を迫る鳩山邦夫を6月12日麻生総理は事実上更迭し、郵政民営化路線の見直しにより麻生おろしへ対抗しようとした試みは最終的に挫折した。そして、麻生内閣の迷走と自民党内の分裂をますます印象づける結果となった。また、月末には総選挙前の党四役の交代人事に着手 しようとするも党内からの反発で断念するなど決断にぶれが多く出た結果、麻生離れは進行した。元幹事長の中川秀直が「自ら降りていただきたい」と述べるなど、党内からも公然と退陣要求が出た。 麻生は7月13日、21日に衆議院を解散し、8月30日投開票の日程で総選挙を断行する意向を異例の「解散予告」の形で表明した。民主党の首相問責決議案が参院で可決されることを想定し、7月14日の衆院解散も検討したが、2009年(平成21年)の東京都議選で与党が大敗し、立ち直るのに日にちをあけたいという事情に配慮して、与党幹部と協議し憲法の規定でもっとも遅くなる8月30日投開票で合意した。なお14日の問責決議案可決の結果、野党が審議に応じず、国会は会期末を待たず事実上閉幕した。 7月13日の「解散予告」の後は、各種調査の議席予測等を受け、2008年(平成20年)秋に解散しておけばよかったという与党議員の不満も出た。解散直前まで自民党が首相に麻生を擁するか混乱した影響は大きく、前官房長官の町村信孝も地元で「自民が勝てば麻生政権が続くのか」と問われるなど、情勢悪化に歯止めがきかなかった。 その後も自民党では署名により両院議員総会を開催しての総裁選前倒しなどが企図されたが、開催は見送られ懇談会となった。不満な議員が別のマニフェストを作る分裂的な動きなども出たが、小選挙区制では党非公認だと比例区での復活の可能性がなくなることで牽制され、7月21日に予定通り衆議院は解散された。しかし、党利党略でさえない、「麻生おろし」を封じるための解散だったとも評された。
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