「近きより」とは? わかりやすく解説

「近きより」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/26 04:49 UTC 版)

正木ひろし」の記事における「「近きより」」の解説

1937年昭和12年)には個人雑誌「近きより」を発刊する。正木自身の「発刊言葉によれば雑誌発行目的は「自らの公共心社交性の満足」のためであるという。当初弁護士という職業柄法律問答」などの記事、また交友広げるという意味からか「お婿さん募集」「書生希望紹介」などの雑記事も多かった。 やがて1939年4月一か月わたって旅行した戦地中国大陸で、正木日本軍将兵中国人抑圧する有様目撃する。彼が「近きより」に(注意深い筆致で)著した旅行記検閲発禁対象となる。以後正木はこの雑誌拠点として、時の首相東條英機への苛烈批判など日本行く末憂える言説繰り広げることとなる。度重なる廃刊要請無視して「近きより」はほぼ月刊維持敗戦後1949年まで発行された。 なお雑誌寄稿中には長谷川如是閑内田百閒武者小路実篤馬場恒吾読後感想を寄せた購読者には宇垣一成小林一三坪田譲治藤田嗣治三木清萩原朔太郎ラス・ビハリ・ボースなどの名前もあり、正木交友関係広さうかがわせる1944年警察による被疑者への暴行致死疑惑首なし事件)が発生した時は、取調べ中に死亡した被疑者遺体の首を持ち帰って医師鑑定をし、特別公務員暴行陵虐致死罪で警察官告発。「近きより」紙上でもキャンペーン張るなど、当時公然の秘密だった官憲拷問というタブー立ち向かったことで注目された。警察官1955年有罪確定した

※この「「近きより」」の解説は、「正木ひろし」の解説の一部です。
「「近きより」」を含む「正木ひろし」の記事については、「正木ひろし」の概要を参照ください。

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