「辺幣」・「法幣」戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/08 07:11 UTC 版)
「中華民国期の通貨の歴史」の記事における「「辺幣」・「法幣」戦争」の解説
1945年(民国34年=昭和20年)8月の日本の敗戦後は、三つ巴の通貨戦争から、共産党と国民党との通貨戦争へとなった。共産党と国民党の競合地域では、「辺幣」・「法幣」両方が使われるようになり、そのどちらがより広い範囲で使われ、価値が高いかは、国共の勢力と人々の信頼度を示すバロメーターとなった。その実力を競い合う最大の場は「市(いち)」である。「市(いち)」が立つと、国共とも工作員を派遣し、自分の方の通貨がより広く通用し、価値も高くなるようさまざまな策略をめぐらす。相手の通貨への不安を掻き立てるようなデマを流したり、地元のごろつきを雇い実力で使用を阻止したりという例も見られた。双方の工作員は短銃で武装し、撃ち合いになることもしばしばだった。
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