「近思録」派の政策とは? わかりやすく解説

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「近思録」派の政策

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 05:06 UTC 版)

近思録崩れ」の記事における「「近思録」派の政策」の解説

市田盛常追放後鹿児島藩政の中心樺山久言秩父季保となった。彼ら「近思録党」が考えた主な政策以下の通りである。 参勤交代10年保留 殖産産業ならない新規事業停止 琉球通じた貿易拡大 本来下級武士役職である喜界島代官一所持格で勘定奉行島津相馬お由羅騒動処罰され島津壱岐の父)や寄合伊集院蔵主への下命実際琉球介した対清貿易それまで隠れた鹿児島藩重要な収入源であったが、その大々的拡大江戸幕府無視した同然であり、茂姫を通じて幕府威光拡大していた重豪と衝突するものであった。更に、新規事業停止により、これまで重豪が力を入れてきた蘭学関係の施設大半鷹狩り施設廃止となるなど重豪の改革対す反動改革という側面もあったために、この改革は重豪の逆鱗に触れることとなる。 また、近思録党」は近思録一派の者しか優遇しなかったこともあり、急速に国元支持失っていったとされる例え造士館教授であった山本正誼はこのときに近思録党により隠居追い込まれ造士館教授黒田才之丞が就任することになる。後に山本一部始終を「文化朋党実録」という回想録として残したが、これらは現在数少ない近思録崩れ貴重な同時代史料となっている。

※この「「近思録」派の政策」の解説は、「近思録崩れ」の解説の一部です。
「「近思録」派の政策」を含む「近思録崩れ」の記事については、「近思録崩れ」の概要を参照ください。

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