「打倒トラの本命=トーヨー」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/09/15 15:03 UTC 版)
「トーヨー (エンジン)」の記事における「「打倒トラの本命=トーヨー」」の解説
3級車エンジン市場で圧倒的な支持を得て、2級車エンジンでもその支持を拡大しつつあったトーヨーだが、当時のオートレース界はトライアンフの絶頂期でもあった。トーヨーをはじめとする国産メーカーは「打倒トラ」を合言葉に、トラを超えるエンジンの開発に腐心していた。 1977年、トーヨーは他のメーカーに先駆け、「打倒トラ」の本命とも言われたSOHC二気筒エンジンを発表した。このエンジンは、エンジンの型式(トーヨーVEX型)や搭載した競走車の呼名を取って「ベックスエンジン」「リサーチエンジン」とも呼ばれた。このトーヨー二気筒は当時としては画期的な作りをしていた。当時は二気筒=トラという時代で、1980年に登場したメグロ二気筒もトラと同様のプッシュロッド(OHV)方式のエンジンだった。それに対してこのトーヨー二気筒は単気筒のみに採用していたチェーンカム(SOHC)方式をそのまま応用したのである。 そもそもこのエンジンが開発されたきっかけ自体が、「単気筒の排気量向上が限界に達した」というものであった。言うなれば、このトーヨー二気筒は現在のセアの始祖にあたるとも言えよう。そうした制約から生まれたエンジンであったにもかかわらず、このトーヨー二気筒は極めて高い性能を秘めていた。元々高回転エンジンが売りのトーヨーだけあって、この二気筒エンジンも回転の上がりが非常に良いエンジンであった。また、選手自身がカムやキャブレター周りをチューンすることで更に性能が向上するという特徴があり、一時はこのエンジンがトラを打倒するものと思われた。 ところが、思ってもみない欠点が浮上する。元来ブレーキを用いないオートレースにおいては、エンジンブレーキの効きがレースを大きく左右する要素となっていた。このトーヨー二気筒はパワー、特に直線での伸びに関してはトラはおろか後のニューフジ二気筒をすら凌駕する性能を誇っていたが、肝心のエンジンブレーキがまったくと言っていいほど効かなかったのである。これは即ち、コーナーで車を止められないということであり、乗りこなすには相当の技術が要求された。実際、1節だけこのエンジンを使用した阿部光雄は「とてもじゃないが、乗れたもんじゃない」と評価していた。 結果として、このエンジンは普及を見ず自然消滅していった。これによりトーヨーは信頼を失いシェアが激減。さらに悪いことに、最も自信を持っていた3級車が1985年配属の第19期生から廃止されてしまい、以降は1級車単気筒エンジン(TS618型)を細々と供給し、全体比でおよそ1割程度のシェアしか維持できなかった。そして、1993年のセア一斉乗り換えによって、トーヨーは他のエンジンと共に姿を消したのである。 セア導入後の株式会社トーヨー内燃機は、キョクトーを生産していた極東内燃機株式会社と共に、競走車の認定整備業者となっている。
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