「打倒トラ」の急先鋒、メグロ二気筒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/05 18:33 UTC 版)
「メグロ (エンジン)」の記事における「「打倒トラ」の急先鋒、メグロ二気筒」の解説
1980年、メグロ発動機がOHV二気筒663ccの新エンジンMR型を発表した。これがメグロ二気筒である。長年、メグロ発動機は研究用としてトラを所有しており、トラをベースに改良を施した2気筒エンジンであった。ただ、このエンジンは原型機であるトラと比較した場合、ストロークや圧縮比等が若干低く、当初選手間での評判は芳しくなくあまり出回ってはいなかった。 しかし、1983年に英国メリデン・トライアンフ社が業績悪化に伴い倒産すると、エンジンのみならず、部品ですら入手が困難になってしまい、選手によっては自ら海外に赴きパーツを買い付けるという事態が発生。そこで、性能的にはほとんど遜色なく、国産で部品の供給が安定しているメグロニ気筒に乗り替わる選手が増加した。また、一度はトラに乗ったものの乗りこなせず、やむなく単気筒に乗り戻った選手の多くがこのメグロ二気筒に乗り替わった。 そして1984年、第16回日本選手権オートレースで進藤敏彦(山陽オートレース場所属、引退)が、翌1985年の第17回日本選手権オートレースで篠崎実(9期、川口オートレース場所属)がこのメグロ二気筒で優勝を飾った。これを期に登録台数が一気に増加しトラを圧倒。念願の「打倒トラ」を果たしたのである。しかし、1988年にHKSがニューフジ二気筒を発表すると、それまで単気筒にこだわって乗っていた選手までもがニューフジニ気筒に乗り替えてしまい、メグロのシェアは一気に下降した。
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