オートレース界
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 15:05 UTC 版)
「黒い霧事件 (日本プロ野球)」の記事における「オートレース界」の解説
オートレースの八百長は、野球界よりも早く表面化していた。1969年9月25日、暴力団関係者と現役オートレース選手4人が警視庁捜査四課に逮捕されたことから始まる。「俺たちだけじゃない、ほかにも大勢いる」との供述から、同年11月にはさらに3人の選手も逮捕されるなど芋づる式に逮捕が続いた。手口は、有力選手に八百長を持ちかけて高額配当を出やすくした上で外部の後援者などに車券を買わせるものであった。この後援者には暴力団員が含まれており、野球界などにも勧誘の手が広がっていった。 捜査当局が野球選手の関与を明確に把握した契機は、1970年4月14日に逮捕されたオートレース選手の自供によるものであった。オートレースは賞金を稼ぐ有力選手が、若手に車体や中古タイヤを譲り渡すことが行われており、親分、弟分といった人間関係ができやすいことも八百長が浸透する背景となっていた。 同年4月11日までに捜査当局が把握していた八百長選手は少なく見積もって約30人にものぼる。八百長の舞台となった船橋オートレース場、大井オートレース場の両場所属選手は120人であったことから、4人に1人の割合で関与していたことが明らかになっている。
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