川口四天王との戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/26 03:00 UTC 版)
広瀬登喜夫、阿部光雄、且元滋紀、篠崎実の川口オートレース所属4選手は1970年代終わり頃から絶対的な強さから「川口四天王」と呼ばれていた。飯塚は当時一時事実上の引退を強いられていた広瀬を除く3選手と特別レースや記念レースで常に覇権を争った。 飯塚がSGを次々に制覇する1977年~1992年の間に、阿部・且元・篠崎はそれぞれ2度ずつSGを優勝している。一見少ないように思われるが、当時特別競走の絶対数の少なさを考慮すると、阿部・且元・篠崎の優勝回数は飯塚に匹敵するものであり、当時の飯塚にとって最も大きな障壁は、間違いなくこの3人だったとも言える。 飯塚は、川口オート開催のGI競走を生涯優勝出来なかった(川口開催のSG及びGIIはそれぞれ2回優勝経験あり)。この事実はある意味、オートレース界の「七不思議」とも言える。だが、川口四天王を中心とした当時の川口オートレースの選手層の厚さの証明であったとも言える。
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