オートレース黎明期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 14:02 UTC 版)
1950年(昭和25年)、オートレースが誕生した当初はシリンダー数(気筒)と排気量(容積)によるエンジンの級別区分以外には確たる基準が無く、級別は二輪車に関しては1級車から9級車までが存在するなど雑多を極めていた。ただ排気量などに制限はあったものの、実質的にはほぼ自由に選択できる状況であったため、次第に国産、外車を問わず30にも及ぶメーカーのオートバイが乱立するという状況になった。外車ではハーレーダビッドソンやノートン、トライアンフなどが、国産ではメグロなどが主に使用された。なお今日とは異なりハンドブレーキを装着したマシンも多く存在していた。 しかし、これらの車両は大半が戦前に生産・輸入されたもので、性能は決して良くはなかった。また、燃料であるガソリンが満足に供給されなかったため、代用燃料としてアルコールや松根油を使用する車両があった。その結果、故障が頻発し、修理をしようにも部品そのものがなく、選手が手製の部品を制作して修理することが当然という状況に陥っていた。
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