「ロザリオ」作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 10:32 UTC 版)
「フォークランド諸島侵攻」の記事における「「ロザリオ」作戦」の解説
ハント総督がラジオでフォークランド島民に非常事態宣言を出した時点ですでにアルゼンチン軍はフォークランド諸島近海に展開し、上陸作戦を開始していた。 「ロザリオ」作戦と名付けられたこの作戦はアルゼンチン海兵隊を中心とした900名の兵員を中心としてフォークランド諸島の島都、ポート・スタンリーを制圧、掌握するための上陸作戦であり、国際世論を見越して極力イギリス側に死者が出ないように配慮されていた。 まず、4月1日21時半頃にポート・スタンリーより南部沖合1海里に接近していたアルゼンチン海軍駆逐艦「サンティシマ・トリニダード」より84名のアルゼンチン海兵隊コマンド部隊隊員が21隻の強襲揚陸ボートに分乗。同23時頃にポートスタンレー南部の海岸に上陸した。上陸した部隊は二手に分かれ、内68名の一隊は上陸地点より北西の兵舎を、残り16名のもう一隊は北のポート・スタンリー民政庁を目指して進軍した。 その間、ポート・スタンリー北東沖合に展開していたアルゼンチン海軍潜水艦サンタフェより14名のアルゼンチン海軍特殊潜水夫部隊が出撃し、4月2日4時半頃にポート・スタンリー空港北西部の沿岸より上陸。空港周辺の探索を行うと同時に、海兵隊本隊の上陸地点の確保を行った。 同5時半頃にイギリス軍兵舎へ向かっていたアルゼンチン海兵隊コマンド部隊が兵舎に到着し、機関銃による威嚇射撃と催涙ガスによる制圧を行ったが既にイギリス兵はその場を放棄しており、兵員はいなかった。 同6時頃、ポート・スタンリー北東沖合に展開していたアルゼンチン海軍揚陸艦「カボ・サン・アントニオ(英語版、スペイン語版)」よりアルゼンチン第2海兵歩兵大隊数百名を積載したLVTP7水陸両用装甲兵員輸送車とアムトラック水陸両用兵員輸送車計20台が発進し、同6時半頃にあらかじめ特殊潜水夫部隊によって占拠されていた海岸部より上陸を果たした。 それと同時刻にポート・スタンリー民政庁の制圧に向かっていた16名のアルゼンチン海兵隊コマンド部隊は民政庁に到着するもそこに立てこもっていたイギリス海兵隊員31名と海軍水兵11名からなる部隊と戦闘になり、アルゼンチン側はコマンド部隊の指揮官1名が戦死、他3名の隊員が負傷し、膠着状態となった。 同7時頃、ポート・スタンリー空港とその周辺を確保したアルゼンチン海兵隊主力部隊はポート・スタンリーの全面制圧の為に市街地へ進出した。市街地にはイギリス海兵隊の一部が待ち伏せ、アルゼンチン軍に対して機関銃と対戦車ロケット砲による要撃を行ったが、戦力差の大きさからイギリス側は直ぐに民政庁へ撤退を余儀なくされた。同8時半頃にはアルゼンチン海兵隊主力はポート・スタンリー市街をほぼ掌握することに成功した。 民政庁に立てこもっていたハント総督は、フォークランド諸島島民であった在留アルゼンチン人の一人を通じてラジオ放送でアルゼンチン軍侵攻部隊の指揮官のブゼル提督と接触。ブゼル提督の説得によってハント総督は降伏を決断し、同9時半頃、フォークランド諸島在イギリス軍は全面降伏。フォークランド諸島はアルゼンチン軍に掌握された。 この戦闘でイギリス側に死者、重傷者はなく、全員捕虜にされた。アルゼンチン側は死者1名と3名の負傷者を出し、アムトラック水陸両用兵員輸送車1台が損傷した。
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