「ロシア初の交響曲」とは? わかりやすく解説

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「ロシア初の交響曲」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/14 05:07 UTC 版)

交響曲第1番 (リムスキー=コルサコフ)」の記事における「「ロシア初の交響曲」」の解説

バラキレフは「五人組」の指導者として、アントン・ルビンシテインその他の西欧派の作曲家によるドイツ流の交響楽一線を画すべく、東方風の主題和声利用自作用いるように同人呼びかけていた。ルビンシテイン1841年に《交響曲第1番作品40、そして1851年に《交響曲第2番大洋」》作品42作曲していたにもかかわらずリムスキー=コルサコフロシア民謡オリエント旋律を《交響曲 第1番》に用いたからというので、ウラディーミル・スターソフらの民族主義者はこの作品を、(ロシア人による「最初交響曲」と「交響曲第1番」という)二重の意味をこめて「ロシア初の交響曲」と呼んだ本作オリエンタル旋律は、バラキレフカフカス採譜したものである。「五人組」の同人ツェーザリ・キュイは、1863年に、海軍配備出航中のリムスキー=コルサコフ宛ててこのように書き送っている。「この交響曲好い曲だ。われわれは数日前バラキレフの家でそれを弾き、スターソフが大変喜んだ。これは本当にロシア的だ。ロシア人にしか作曲できないような音楽だ。ドイツ気質の澱んだ特徴いささかも見受けられないのだから。」この曲の成功により、リムスキー=コルサコフ作曲家としての道が定まったのである

※この「「ロシア初の交響曲」」の解説は、「交響曲第1番 (リムスキー=コルサコフ)」の解説の一部です。
「「ロシア初の交響曲」」を含む「交響曲第1番 (リムスキー=コルサコフ)」の記事については、「交響曲第1番 (リムスキー=コルサコフ)」の概要を参照ください。

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