「メルセデス時代」の始まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 14:45 UTC 版)
「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「「メルセデス時代」の始まり」の解説
1900年末に「メルセデス」の名を冠する最初の車両であるメルセデス・35PSが完成した。同車はそれまでの馬車をひきずった車とは一線を画する先進的な自動車で、「我々はメルセデス時代に入った」と称賛された。(→#メルセデス・35PS) ベンツ社では、カール・ベンツはレース活動に関心を持たなかったため、この時期の活動は断続的なものとなるが、ダイムラー(メルセデス)の活躍に触発されてレース活動への関与を徐々に強めていく。(→ベンツ・パルシファル) 1900年3月6日、ゴットリープ・ダイムラーが死去する。 3月末、ニース・スピードウィークで、イェリネックがダイムラー・フェニックス(28馬力)を走行させる。1イベントとして行われたニース~ラ・テュルビー間のヒルクライムレースにおいて、ドライバーのヴィルヘルム・バウアーが死亡する事故が起きる。 4月、イェリネックがダイムラーにより高性能な車両の開発を求め、36台分を発注し、同年12月22日に最初の1台を受け取る。マイバッハの手になるこの車両は後に「メルセデス・35PS(英語版)」と呼ばれ、最初の「メルセデス」として知られるようになる。(→#メルセデス・35PS) 4月2日、イェリネックがダイムラーの取締役の一人となる。 1901年3月、イェリネックがニース・スピードウィークにメルセデス・35PSを持ち込み、ほぼ全てのレースで圧勝し、速度記録を樹立するなどの活躍を見せたことから、この出来事はメルセデスの名を有名にする。 1902年3月、35PSの後継車両であるメルセデス・シンプレックス(英語版)が完成し、受け取ったイェリネックはレースへの投入を始める。 5月、オーストリアのエクセルベルク(ドイツ語版)で開催されたヒルクライムレース(Excelberg Race)で、フェルディナント・ポルシェが自身が開発したローナーポルシェの電動インホイールモーターをメルセデス・シンプレックス(28馬力)に組み込んだハイブリッド車両(Porsche-Mixte)をエントリーし、自動車部門で優勝する。(→#電気自動車) 6月23日、ダイムラーは「メルセデス」(Mercédès)を自社の商標として出願し、同年9月26日に商標登録が認められる。 1903年5月、パリ・マドリードレース(英語版)が開催され、メルセデス・シンプレックス(60馬力)とベンツ・パルシファル(ドイツ語版)(60馬力)が参戦する。このレースは事故が多発しレース途中でフランス政府によって中止に追い込まれた。 7月2日、アイルランド・アシー(英語版)で第4回ゴードン・ベネット・カップが開催され、メルセデス・シンプレックス(60馬力)が優勝する(ドライバーはカミーユ・ジェナッツィ)。(→#ゴードン・ベネット・カップ) 1904年5月25日、メルセデス・シンプレックス(90馬力)が自動車の速度記録(時速97.25マイル、時速156.50㎞)を樹立する(ドライバーはピエール・ド・カテール(英語版))。 10月、アメリカ合衆国ニューヨーク州ロングアイランドで、第1回ヴァンダービルト杯が開催され、同国初の国際レースとなったこの大会に、メルセデスは5台の車をエントリーさせた。
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