ベンツ・パルシファル(1902年)
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「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「ベンツ・パルシファル(1902年)」の解説
カール・ベンツの方針によりレース活動から遠ざかっていたベンツ社では、フリッツ・アールが会社から許可をもらって当時の「メルセデス」のトレンドに沿った車両の開発を細々と行っていた。 レースに消極的なカール・ベンツの姿勢は、共同経営者で高性能車の開発を望んでいたユリウス・ガンス(Julius Ganß)との間で対立を生じさせる。ガンスはフランス人技術者のマリウス・バルバロウを雇い入れて、独自に開発部隊を設け、バルバロウは1902年に直列2気筒エンジンを搭載したベンツ・パルシファル(ドイツ語版)を完成させた。この車両はレース専用車ではないが、レース仕様車はそれに匹敵する高性能だった。これにより、カール・ベンツとガンスの対立は深まり、1903年にカール・ベンツは開発の一線を退いた。 1903年5月に開催されたパリ・マドリッドレース(英語版)にベンツは改良したパルシファル(60馬力)を投入し、バルバロウ自ら同車のステアリングを握って参戦したが、このレースでは散々な結果に終わった。しかし、バルバロウはさらに改良を施した車を翌月のレースに投入し、ここでは総合性能では上回るメルセデス・シンプレックス(英語版)(60馬力)を超える結果を出した。この車両は大きな成功はしなかったものの、その後のベンツのレーシングカーの足掛かりとなった。
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