メルセデス・シンプレックス(1904年)
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「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「メルセデス・シンプレックス(1904年)」の解説
90馬力となったメルセデス・シンプレックスは、その高出力から速度記録の挑戦に用いられ、1904年1月にアメリカ合衆国のデイトナビーチにてウィリアム・キッサム・ヴァンダービルト2世がフライングキロメートルで148.51 km/hを記録した。これはAIACRによって認められたものではないが、その後数多くの速度記録を生み出すデイトナビーチで記録された最初の絶対速度記録となった。同年11月、今度はベルギーのオーステンデで、ピエール・ド・カテール(英語版)がやはり90馬力のシンプレックスを駆って記録に挑み、フライングキロメートルで156.50 km/hを記録し、これはAIACRも認めた地上絶対速度記録となった。「ベンツ」車両については次項のブリッツェン・ベンツの例があるが、「メルセデス」車両としては、絶対速度記録を公式に塗り替えたのはこの時が唯一である。 翌1905年もデイトナビーチにおいて記録の更新に挑む者が現れ、ヴァンダービルトは記録更新に失敗したが、ボストン出身のハーバート・L・ボーデン(Herbert L. Bowden)という人物が、60馬力のシンプレックスをベースとしてエンジンを2基搭載した「フライングダッチマンII」でフライングマイルで176.5 km/hという新記録を樹立した。
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