「メルポメネ」に関する議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/27 07:38 UTC 版)
「スタマタ・レヴィチ」の記事における「「メルポメネ」に関する議論」の解説
メルポメネ(ギリシャ語: Μελπομένη, ラテン文字転写: Melpomene)という女性がアテネオリンピックの時にマラソンを走り、4時間30分で完走したとの資料がある。オリンピック史研究者の間でも、メルポメネがレヴィチと同一人物かどうかを巡って議論がある。 下記の議論及び資料が提示されている。 1896年3月アテネのフランス語新聞 (Messager d'Athenes)が、「マラソンレースの参加者に加わった女性のうわさがある」として、女性が、4時間30分で完走ことを伝えている。 この記事は、30年にわたり忘れられされていたが、Der Leichtathletの1927年の号で掘り起こされている。 国際オリンピック委員会のハンガリーの委員であったFranz Kemenyは、メルポメネは実際に試走でマラソンを4時間30分で完走し、オリンピックのレースへの参加を求めたが、組織委員会から拒否されたとの旨を、ドイツ語で記している。 オリンピック史研究家 Karl Lennartz は、「TWO WOMEN RAN THE MARATHON IN 1896」(1896年に二人の女性がマラソンを走った)と題する記事を著した。この中で、メルポメネの名前は、アテネオリンピックの競泳で2つの金メダルを獲得したハヨーシュ・アルフレードらにより確認が取れているとしている。メルポメネは、レースへの参加を希望し、3月頭に、4時間30分で完走したのは確かだと指摘している。 オリンピック史研究家Tarasouleasは、同時代のギリシャの新聞には、レヴィチの名前は多数確認できるのに対し、メルポメネの名前は見当たらないことを指摘し、メルポメネとレヴィチは同一人物である可能性を指摘している。Tarasouleas は、レヴィチは二つの名前を持っていたか、あるいは、何らかの理由によりギリシャ神話に登場する女神メルポメネ(Muse Melpomene)に由来する名を付けられたのだろうと述べている。 オリンピック史研究家のMartinとGreenは、ある当時の記事がレヴィチを「有名なマラソンランナー」と書いていることが説明になるかもしれないとしている。つまり先に走った女性もレヴィチ本人であったからこそレヴィチが有名になったのであり、メルポメネという名の先行者がいたわけではないというのである。
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