闇サイト殺人事件 加害者の経歴

闇サイト殺人事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 23:13 UTC 版)

加害者の経歴

加害者3人は仕事が長続きせず[318]、事件当時は消費者金融から数十万円 - 数千万円の借金を抱え[22]、金に困っていた[注 125][5][89]

KT

K・T
生誕 (1971-03-09) 1971年3月9日[319]
日本群馬県高崎市[138][320]
死没 (2015-06-25) 2015年6月25日(44歳没)[29]
名古屋拘置所[29] 日本・愛知県名古屋市東区白壁
死因 縊死絞首刑
住居 日本・愛知県豊明市栄町西大根[321]
職業 新聞勧誘員[321]
雇用者 セールス会社(朝日新聞販売所が業務委託)[321]
罪名 営利略取罪逮捕監禁罪強盗殺人罪死体遺棄罪窃盗未遂罪[17]
刑罰 死刑(絞首刑:執行済み[29]
動機 手っ取り早く、楽をして金を手に入れるため[19]
有罪判決 死刑 - 名古屋地裁刑事第6部[195]:2009年3月18日宣告[255]
日本
都道府県 愛知県
標的 帰宅途中の女性会社員[17]
死者 1人
凶器 綿ロープ・粘着テープ・ビニール袋・金槌[17]
逮捕日
2007年8月26日(当時36歳)[5]
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本事件で2009年に死刑が確定し、2015年に死刑を執行された元死刑囚KT1971年昭和46年)3月9日生まれ[319](事件当時36歳)[58]群馬県高崎市出身[138][320]

小学生のころに両親が離婚し、当初は母親の実家に引き取られたが、次に長距離運転手だった父親に引き取られる[322]父親から暴力を振るわれ、学校でもいじめを受けるような環境で生育した[323]。また、群発頭痛の持病があり[323]、16歳のころから激しい頭痛に悩まされたが、治療費が高額なために十分な治療を受けられず[240]、中学卒業後には暴走族に所属した[322]。成人後も頭痛の持病に悩まされ、職が長続きしなかった[323]

1989年平成元年)[324]、地元・高崎市内の工業高校を卒業[138]人材派遣会社などに登録したが、実際に仕事に就いた形跡はなく[318]、上京後には暴力団関係の仕事をするようになった[320]。その後、名古屋にたどり着く[320]までの間に、東京都内の新聞販売店・愛知県内の人材派遣会社など、仕事を転々とした[138]。また、事件の10年ほど前(1997年ごろ)から携帯電話で闇サイトを利用していたとされる[注 126][22][190]

2006年(平成18年)9月から豊明市内の新聞販売店に入社し、会社の寮に住み込む[325]。『朝日新聞』のセールススタッフとして[325]、新聞勧誘員の仕事をしていたが、勤務態度はあまり良くなく[61]、「仕事を休みがちだった」という報道もされている[324][325]。事件前の手取り収入も少なく[注 127][325]、交際相手の女性から時々小遣いを貰うなどして生活していた[61]。また、勤務先の社長に対し「父が亡くなり、天涯孤独の身だ」と嘘を吐いたり[注 128]、同社に提出した履歴書にも虚偽事項を記載したりしていた[325]。弁護人を務めていた福井秀剛[注 110]は、KTの人物像について「かなり見栄っ張り、人前では強気なことを言う」と評し、自身はKTの言いたいこと(被害者や遺族への謝罪の心情など)を理解できたが、KT本人はそれを直接的に言葉にすることはなかったという旨を述べている[326]

KTは先述のように、闇サイトを悪用した別の詐欺事件で執行猶予付き有罪判決を受けて以降も、金欲しさから闇サイトの閲覧・投稿を続けていた[49]

国家賠償請求訴訟

第一審でKTの国選弁護人を務めていた弁護士2人[327](藏冨恒彦[注 109]と福井)は、KTによる控訴取り下げ後の2009年4月 - 6月にかけ[282]、控訴取り下げへの異議申し立ての打ち合わせなどのため[328]、KTと拘置所職員の立ち会いなしで面会する「弁護士面会」を名古屋拘置所に申請したが、拘置所側は「死刑確定直後で心情安定のため、立ち会いが必要だ」として、立ち会いの伴う「一般面会」しか認めなかった[282]。2人はこれを違法として、2009年8月12日付で、名古屋地裁に国家賠償請求訴訟[事件番号:平成21年(ワ)第4801号、請求額:120万円]を提訴[329]。その後、2010年11月4日には同様に、無立会の面会を認められなかったことを違法として、死刑囚KTに対し慰謝料などを支払う国賠訴訟[事件番号:平成22年(ワ)第7629号]を提起し、先の訴訟と併せ[284]被告(国)に対し2,700万円の支払いを求めていた[328]

名古屋地裁民事第3部(德永幸藏裁判長)[330]2013年(平成25年)2月19日、「拘置所長が裁量権を濫用した」として、原告側の訴えを認め[328]、国に対し145万2,000円の賠償を支払うよう命じる判決を言い渡した[注 129][331]2014年(平成26年)3月13日[332]、名古屋高裁民事第3部(長門栄吉裁判長)[注 130]は第一審に続き、拘置所長の対応を「裁量権を逸脱・濫用したもので違法」と認め、国に対し計145万2,000円の支払いを命じる控訴審判決[注 131]を宣告した[332]。原告側は上告したが、2015年(平成27年)4月22日付で最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)が上告を退ける決定を出したため、控訴審判決が確定した[335]

死刑執行

KTは死刑確定後、弁護人の福井や支援者2人(うち1人は親族)と連絡を取り合っていた一方[336]再審請求の準備も行っていた[注 132][339]。2011年6月20日 - 8月31日に福島瑞穂参議院議員)が、死刑確定者120人(2011年6月20日時点)を対象に実施したアンケート[注 133][341]に対し、死刑囚KTは「(自身が収監されている)名古屋拘置所では現在、所長が我々の生活処遇を勝手に厳格化している。国会で法務大臣にこの問題を追及してほしい。自分は人殺しだが、鬼ではなく人間だ」と訴えていた[342]

KTは2015年6月25日8時25分[343]、法務大臣の上川陽子[注 134]が発した死刑執行命令により、収監先の名古屋拘置所死刑を執行された(44歳没)[注 135][29]日本弁護士連合会(日弁連)は同日、村越進会長名義で死刑執行に抗議する声明を出した[345]

弁護士の福井秀剛[注 110](第一審でKTの国選弁護人を担当)は、同年7月26日に開催された死刑執行への抗議集会で、KTの最期の言葉(下記)を引用し、その最期について「拘置所の職員から『立派な最期だった』と聞いた」[346]「KTは自分の犯したことと向き合っていた」と証言している[343]

こうなることは分かっていました。被害者のお母さん、おばさん、付き合っていた彼、友人、会社の同僚に対して、命を以て償います。 — 死刑囚KT、[343][346]

一方、同月8日に開催された抗議集会では、死刑廃止論者である弁護士2人(安田好弘村上満宏)がそれぞれ「KTは控訴を取り下げなければ、堀と同様に控訴審で無期懲役に軽減されていた可能性が高い」と指摘している[347]。また、福井とともにKTの国選弁護人を務めていた藏冨恒彦[注 109]は同日の集会に対し、以下のようなメッセージを寄せている[343]

  1. 国賠の間隙をぬって執行されたようで、理不尽さを感じる。
  2. 控訴を取り下げなければ、共犯者堀とのバランス上、明らかに無期懲役相当事案であり、死刑執行を急ぐ必要はないはずである。
  3. KT氏より古い死刑確定事案は多数あるはずで、何故、今回なのか理解しがたいものがある。
  4. 処遇が難しい死刑確定者なので、執行を急いだのであろうか?それなら余りにも理不尽ではないか?

「山下」

2011年に無期懲役が確定した加害者「山下」(事件当時40歳)[48]1966年(昭和41年)生まれ[18]石川県金沢市出身[注 136][318][348][63]。「山下」は「闇の職安」[注 4]で用いていた偽名であり、本名のイニシャルは「K・K」である[60]。2019年(令和元年)6月29日時点で[注 137][349]、刑務所に服役中である[注 138][352]

子供のころに腎臓病を罹患したことが原因でいじめを受け、高校進学後からその反動で不良として非行に走るようになり、少年鑑別所に収監されたこともあった[63]。高校を出た後[注 139]富山県富山市内で[325]、大手警備会社に就職して7年間勤務した[348]1999年(平成11年)8月、住宅ローンを組み、愛知県瀬戸市内の分譲マンションを購入[353]。妻・子供4人と共に暮らしていたが[318]、このころ(事件の8年ほど前)から携帯電話で闇サイトを利用し始め[22][190]、「闇の職安」を通じて入手した偽の運転免許証を用いて、振り込め詐欺用の銀行口座を開設・販売していた[354]2000年(平成12年)ごろ以降は、愛知県内の運送会社を転々とした[注 140][325] が、各社に提出していた履歴書には、多くの虚偽記載があった[注 141][318]

その後、金に困るようになり、住宅ローン[318]・税金を滞納したため、2002年(平成14年)には瀬戸市などにマンションの部屋を差し押さえられた[353]。2002年12月、瀬戸市内の運送会社[注 142]に就職し[348]、会社が借り上げたアパートに住み始めたが[353]、それから数か月後には妻子に逃げられ[348]、妻と離婚した[318]。その後、2003年(平成15年)8月ごろにトヨタ・スターレット[注 20][66]、当時の職場(瀬戸市内の会社)を通し、毎月の給与から代金を天引きする形で購入[353]。しかし2004年(平成16年)5月ごろ、荷物を積んだトラックを駐車場に放置したまま、会社に出勤しなくなり[325]、車とともに夜逃げした[注 143][353]。その後は同県尾張旭市の運送会社に勤めたが、そこでも給料を前借していたほか、他に警備会社・運送会社を転々とし[318]、遺体遺棄現場となった瑞浪市周辺に住んでいたり[184]、殺害現場付近の愛西市で勤務していた時期もあった[324]先述したように詐欺事件で執行猶予付きの有罪判決を受けて以降も、金欲しさから闇サイトへの投稿・閲覧を続けていた[49]。事件直前、「仕事が嫌になった」と無断欠勤し、車中で路上生活を始めたが、その前の約1年間は、派遣工として月10 - 20万円の収入を得て生活していた[51]

逮捕後は「犯行場面の幻影を見て眠れなくなった」と精神安定剤を服用するようになり、曖昧な受け答えをするようになった[355]。第一審でKTと堀が死刑を宣告された一方、自身は唯一死刑を免れる形となった際には、FNN記者との面会で以下のように発言している[27]

「自首したことが認められたことについてはよかったと思う。3人一緒に死刑だと思っていたから驚いた。誰のおかげで事件が解決したのかという思いだったから、満足している。〔A〕(被害者の実名)さんの前に、何人も物色しているんだから、彼女になったのは、運が悪かったからなんだって。今でも悪いことは、ばれなきゃいいという気持ちは変わらない。でも、生かしてもらえてよかった。ありがたい」 — 被告人「山下」、[27][356]







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