法華経 流布

法華経

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 01:05 UTC 版)

流布

ユーラシア大陸での法華経の流布

トルキスタンから出土した、ブラーフミー文字の法華経写本

この経は日本に伝わる前、ユーラシア大陸東部で広く流布した。先ず、インドに於いて広範に流布していたためか、サンスクリット本の編修が多い。羅什の訳では真言・印を省略する。添品法華経ではこれらを追加している。

またチベット語訳、ウイグル語訳、西夏語訳、モンゴル語訳、満洲語訳、朝鮮語諺文)訳などがある。これらの翻訳の存在によって、この経典が広い地域にわたって読誦されていたことが理解できる。チベット仏教ゲルク派開祖ツォンカパは主著『菩提道次第大論』で、滅罪する方便として法華経を読誦することを勧めている[27]

ネパールでは九法宝典(Navagrantha)の一つとされている[28]

中国天台宗では、『法華経』を最重要経典として採用した。中国浙江省に有る天台山国清寺の智顗(天台大師)は、鳩摩羅什の『妙法蓮華経』を所依の経典とした。

日本での法華経の流布

『法華義疏』
平家納経』観普賢経見返し 長寛2年(1164年
平家納経
読経用の折り本。江戸期の両点本(経文の右側にひらがなで音読みを、左側にカタカナと返り点で漢文訓読を示す)。

日本では正倉院に法華経の断簡が存在し、日本人にとっても古くからなじみのあった経典であったことが窺える。

天台宗日蓮宗系の宗派には、『法華経』に対し『無量義経』を開経、『観普賢菩薩行法経』を結経とする見方があり、「法華三部経」と呼ばれている。日本ではまた護国の経典とされ、『金光明経』『仁王経』と併せ「護国三部経」の一つとされた。


606年(推古14年)に聖徳太子が法華経を講じたとの記事が日本書紀にある。

「皇太子、亦法華経を岡本宮に講じたまふ。天皇、大きに喜びて、播磨国の水田百町を皇太子に施りたまふ。因りて斑鳩寺に納れたまふ。」(巻第22、推古天皇14年条)

615年には聖徳太子が法華経の注釈書『法華義疏』を著したとされる (「三経義疏」参照)。聖徳太子以来、法華経は仏教の重要な経典のひとつであると同時に、鎮護国家の観点から、特に日本国には縁の深い経典として一般に考えられてきた。多くの天皇も法華経を称える歌を残しており[29]聖武天皇の皇后である光明皇后は、全国に「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」を建て、これを「国分尼寺」と呼んで「法華経」を信奉した。

最澄によって日本に伝えられた天台宗は、明治維新までは皇室の厚い尊崇を受けた。また最澄は、自らの宗派を「天台法華宗」と名づけて「法華経」を至上の教えとした。

平安時代末期以降に成立した『今昔物語集』では法華経の利益が多く描かれている。

鎌倉時代~戦国時代

法華経信仰の復興を目指したのが日蓮だった。日蓮は、南無阿弥陀仏に対抗すべく「南無妙法蓮華経」の題目を唱え(唱題行)[30]、妙法蓮華経に帰命していくなかで凡夫の身の中にも仏性が目覚めてゆき、真の成仏の道を歩むことが出来る(妙は蘇生の儀也)、という教えを説き、法華宗各派の祖となった。それまでも祈祷や懺悔滅罪のために法華経の読誦や写経は盛んに行われていたが、日蓮教学の法華宗は、この経の題目(題名)の「妙法蓮華経」(鳩摩羅什漢訳本の正式名)の五字を重んじ、南無妙法蓮華経(五字七字の題目)と唱えることを正行(しょうぎょう)とした所に特色がある。

また他の鎌倉新仏教においても法華経は重要な役割を果たしていた。大念仏を唱え融通念仏宗の祖となる良忍は後の浄土系仏教の先駆として称名念仏を主張したが、華厳経と法華経を正依とし、浄土三部経を傍依とした。

曹洞宗の祖師である道元は、「只管打坐」の坐禅を成仏の実践法として宣揚しながらも、その理論的裏づけは、あくまでも法華経の教えの中に探求をし続けた。臨終の時に彼が読んだ経文は、法華経の如来神力品であった。

近世

江戸時代には一般大衆向けの法華経の解説書も多数、刊行された。『法華自我偈絵抄』1814年

近世における法華経は罪障消滅を説く観点から、戦国の戦乱による戦死者への贖罪と悔恨、その後の江戸期に至るまでの和平への祈りを込めて戦国武将とその後の大名家に広く信奉されるようになった。例として加藤清正は法華経を納経している。

江戸期における大名家菩提寺も江戸城下に寄進し法華・日蓮宗系の菩提寺が多く建築され、また紀伊徳川家や加藤清正らによって元よりあった池上本門寺への寄進改築も進んだ。これら大名による諸宗派の寺社寄進には、軍役奉仕である参勤交代や天下普請といった江戸幕府からの奉仕負担を少しでも大目に見てもらおうという目的もあり、また国外からの有事軍役の際に菩提寺を砦として利用することも想定していた。現実に上野戦争時の寛永寺などが幕末の動乱時に砦として活用されている。

上記の理由以外に特に武家の妻女・子女らには変成男子せずとも女人成仏ができると説いた日蓮の教えに感化され勧んで信奉するものがこぞって多くなった。

近代

近代においても法華経は、おもに日蓮を通じて多くの作家・思想家に影響を与えた教典である。島地大等編訳の『漢和対照妙法蓮華経』に衝撃を受け、のち田中智学国柱会に入会した宮沢賢治(詩人・童話小説家)や、高山樗牛(思想家)、妹尾義郎(宗教思想家)、北一輝(革命家)、石原莞爾(軍人)、創価教育学会創価学会の前身)を結成した牧口常三郎戸田城聖(両者とも元教員)らがよく知られている。

一方で西欧式の仏教研究が輸入され大乗非仏説も常識化していった[31]

1945年太平洋戦争での敗戦後、宗教の自由化によって、創価学会立正佼成会といった日蓮系の教団が大きく勢力を伸ばした。

法華経は女人成仏は可か否かなど一部の文言については進駐軍の意向もあり教学上、解釈の変更も一部の宗派では余儀なくされた[要出典]

法華経の写本の例 東京国立博物館蔵(法隆寺献納宝物)平安時代

注釈

  1. ^ 法華経の 現代の解説書にはしばしば、このような写真とこのような主旨の解説が添えられている。
  2. ^ 聖徳太子によって著されたとされる法華経の注釈書「法華経義疏」は、三経義疏の1つである。
  3. ^ 経の字をはずすと「法華」になるが、これは一般に「ほっけ」と発音する。
  4. ^ サンスクリット語版『法華経』を日本語に訳した仏教学者の植木雅俊も、鳩摩羅什訳の正確さを高く評価している。植木は、岩波文庫版『法華経』(1976)の岩本裕訳には誤訳が多いこと、岩本が誤訳した箇所についても鳩摩羅什は正確に訳していることを、具体例を挙げて詳述している。植木雅俊『法華経―梵漢和対照・現代語訳』(上・下、岩波書店、2008)、および植木雅俊「絶妙だった鳩摩羅什訳―サンスクリット語から『法華経』『維摩経』を翻訳して―」(創価研究第7号、2014)を参照。いっぽう「優れたといっても、サンスクリット語原本に忠実な訳というわけではなく、漢文として読みやすいという方がより正確であろう。方便品末尾の十如是など、鳩摩羅什の創意により原本にない文章が付け加えられた所もある。(岩本・坂本1976)」という見解もある。
  5. ^ この28品が法華経成立当初から全て揃っていたかどうかは後述の成立年代についての議論の通り、疑問だが、少なくとも智顗の説は28品全てがはじめから揃っていたことを前提として展開されている。岩本・坂本1976。これに対して吉蔵の『法華義疏』「論品有無」は提婆達多品が欠けていたのを最終的に真諦の訳で補われたと記しており、これは竺道生法雲の注釈書、更に聖徳太子の『法華義疏』も提婆達多品が欠けているからも、鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』は何らかの事情で提婆達多品が訳されなかったか欠落して27品になっていたと考えられる。井上亘は智顗の説でも南岳禅師こと慧思が諸本を対校してこれを正したとしていることから、慧思が真諦訳の提婆達多品を補って本来あるべき28品に正し、それが隋による天下平定後に中国全土に広まり、遣隋使に随行した僧侶が28品揃った経典を日本に持ち帰ったとしている[9]。また、闍那崛多訳によって提婆達多品が付け加えられ、現在の全28品構成となったとする説もある。闍那崛多訳が『添品妙法蓮華経』と呼ばれるのはこのためであるという。ただし、闍那崛多訳では「提婆達多品」という独立の章を立てずに「見宝塔品」の後半に編入される形をとっている。同様に「観世音菩薩普門品」の偈頌も当初は鳩摩羅什訳にはなかったが、闍那崛多によって訳出されたものが鳩摩羅什訳に移入されているとされる[10][11]

出典

  1. ^ 精選版 日本国語大辞典「法華経」、小学館。
  2. ^ NHK 100分de名著 法華経[新]第1回「全てのいのちは平等である」2018年4月2日放送。新版・NHK「100分de名著」ブックス、2021年6月
  3. ^ 三枝充悳日本大百科全書(ニッポニカ)「法華経」、小学館。
  4. ^ 植木雅俊『仏教、本当の教え』中公新書、2011年、82-97頁。
  5. ^ a b 植木雅俊、「Saddharmapundarika の意味」 『印度學佛教學研究』 2000 年 49 巻 1 号 p. 431-429, doi:10.4259/ibk.49.431, 日本印度学仏教学会
  6. ^ 中文维基文库『妙法蓮華経』
  7. ^ 植木雅俊『法華経とは何か:その思想と背景』中公新書、2020年
  8. ^ 平岡聡「法華経の成立に関する新たな視点:――その筋書・配役・情報源は? ――」『印度學佛教學研究』第59巻第1号、日本印度学仏教学会、2010年、390-382頁、doi:10.4259/ibk.59.1_390ISSN 0019-4344NAID 110008574399 
  9. ^ 井上亘「御物本『法華義疏』の成立」古瀬奈津子 編『古代日本の政治と制度-律令制・史料・儀式-』同成社、2021年 ISBN 978-4-88621-862-9 P212-223.
  10. ^ 坂本 幸男、岩本 裕 『法華経〈上〉』 岩波文庫、1976年 P421-428.
  11. ^ 金岡 秀友 『仏典の読み方』 大法輪閣、2009年 P129-135.
  12. ^ 日蓮は「月水御書」(月経中でも仏典を読誦してもよいのか、という女性信者からの質問に対する回答の手紙)の中で「法華経は何れの品も先に申しつる様に愚かならねども、殊に二十八品の中に勝れてめでたきは方便品と寿量品にて侍り。余品は皆枝葉にて候なり」「寿量品・方便品をよみ候へば、自然に余品はよみ候はねども備はり候なり。薬王品・提婆品は女人の成仏往生を説かれて候品にては候へども、提婆品は方便品の枝葉、薬王品は方便品と寿量品の枝葉にて候。されば常には此の方便品・寿量品の二品をあそばし候て、余の品をば時時御いとまのひまにあそばすべく候」と述べている。日蓮系の仏教が日々の勤行で方便品と寿量品を読誦する根拠となっている。
  13. ^ 妙法蓮華經廣量天地品第二十九 (No. 2872 ) in Vol. 85
  14. ^ 妙法蓮華經馬明菩薩品第三十 (No. 2899 ) in Vol. 85
  15. ^ 『更級日記』原文「夢にいと清げなる僧の、黄なる地の袈裟着たるが来て『法華経五の巻をとく習へ』といふと見れど、人にも語らず。習はむとも思ひかけず。」
  16. ^ 『(改正略解)法華経要品訓読』明治20年9月20日御届/同21年6月再版/同37年9月譲受、元版人・須原屋茂兵衛、譲受発行人・鈴木荘次郎、印刷人・三功舎 鈴木耕太郎
  17. ^ a b c d 『哲学 思想事典』岩波書店、1998年、pp.1485-1486 【法華経】
  18. ^ 苅谷定彦『法華経一仏乗の研究』1983
  19. ^ 『法華経の成立と思想』1993
  20. ^ 松下博宣第6講:語られ得ぬ法華経の来歴 | 日経クロステック(xTECH)
  21. ^ Lopez 2016, p. 7.
  22. ^ 法華経の成立 (広済寺ホームページ)
  23. ^ サンスクリット版縮訳, p. 421-422.
  24. ^ 宮本正尊 編『大乗仏教の成立史的研究』(昭和29年) 附録第一「大乗経典の成立年代」
  25. ^ 渡辺照宏『日本の仏教』岩波新書 青版、2002年6月12日、188頁。ISBN 978-4004121510 
  26. ^ 植木雅俊訳『梵漢和対照・現代語訳 法華経 (上)』岩波書店、pp.593-595
  27. ^ チベット仏教書籍のご紹介
  28. ^ 藤谷厚生, 「金光明経の教学史的展開について (PDF) 」『四天王寺国際仏教大学紀要』 平成16年度 大学院 第4号 人文社会学部 第39号 短期大学部 第47号, p.1-28(p14), NAID 110006337539
  29. ^ 法華経は佛教の生命「仏種」である。第2章 第2話 法華宗真門流
  30. ^ ミステリーな日蓮 #005〈唱題で、法華経の再興を目指す〉 | 論創社
  31. ^ 大南龍昇, 「大乗経典のゴーストライター」『印度學佛教學研究』 1991年 39巻 2号 p.524-529, 日本印度学仏教学会, doi:10.4259/ibk.39.524, NAID 110002661557
  32. ^ 『法華経』成立の背景 | NHKテキストビュー
  33. ^ 柴田章延 2013, p. 32.
  34. ^ 「『法華経』─仏教研究の要」 M・I・ヴォロビヨヴァ = デシャトフスカヤ/江口満 訳 東洋哲学研究所創価学会
  35. ^ 柴田章延 2013, p. 34.
  36. ^ 松原正剛の千夜千冊・梵漢和対照・現代語訳「法華経」岩波書店 2008[訳植木雅俊]」閲覧日2022年4月3日
  37. ^ 岩波新書『日本の仏教』岩波新書、p.178
  38. ^ 植木雅俊『今を生きるための仏教100話』平凡社新書、2019年、pp.237-238
  39. ^ 植木雅俊『今を生きるための仏教100話』平凡社新書、2019年、p.249
  40. ^ 坂本幸男・岩本裕訳注『法華経』岩波文庫(上中下)、1976年
  41. ^ 植木雅俊「絶妙だった鳩摩羅什訳―サンスクリット語から『法華経』『維摩経』を翻訳して―」(『創価教育』pp.27-61、2014年3月16日)
  42. ^ 橋爪大三郎・法華経はどこが、最高の経典なのか、橋爪大三郎・植木雅俊共著『ほんとうの法華経』紹介より(ちくま新書、2015年)






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