国鉄485系電車
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新造車
横軽区間用協調機器を搭載する489系を除き、主変圧器の対応周波数に関係しない制御・付随車は481形が483系・485系でも引続き増備された[注 4]。
481系電車
1963年4月より471系により運行を開始した北陸本線の電車急行列車は利用が好調であり、1964年度には大阪・名古屋と富山を結ぶ電車特急列車の新設が決定し、交流60 Hz対応の交直流特急電車として1964年に481系が登場した[4]。1964年8月の北陸本線金沢 - 富山操車場(現在:富山貨物)間交流電化完成により1964年10月1日のダイヤ改正で新設された「雷鳥」「しらさぎ」として製造され、同年12月25日より運用を開始した[6]。
北陸特急用には1964年にモハ481形・モハ480形電動車ユニット11組22両と制御・付随車19両で11両編成×3本と予備車8両の計41両が新製された。翌1965年には151系電車で運転されていた九州特急「つばめ」「はと」の置換えで11両編成×5本と予備車1両の計56両が増備された。新製時には向日町運転所(→京都総合運転所→現:吹田総合車両所京都支所)へ集中配置され、北陸特急と山陽・九州特急での広域運用が実施された[7]。
151系は系列内に10種類の形式が用意されたが、481系では運用効率などの観点から制御車のクハ481形、電動車のモハ481形およびモハ480形、1等車(後のグリーン車)のサロ481形、食堂車のサシ481形の5形式に集約された[8]。運用開始時の編成は1等車2両と食堂車1両を組み込む11両編成で、計画時は1等車2両を編成端に連ねた編成とされたが、付随車が編成端に偏る(クハ・サロ・サロと連続する)ため中間に1等車を組み込む編成に変更された[9]。
制御車の前面形状は151系「こだま形」に準じたボンネットスタイルとなった[4]。ボンネット内部は151系同様に機器室とされ、三相交流440 V・60 Hz、定格容量150 kVAを出力するMH93-DM55A型電動発電機(MG)と容量2950 L/minのMH92B-C3000A型空気圧縮機(CP)が搭載される[10]。ボンネット側面下部には通風グリルが設けられた[9]。グリルはクハ151形の2箇所から3箇所に増設された。後の483系・485系・489系を含めたボンネット先頭車は製造時期およびメーカーにより先頭車部・乗務員室側窓窓枠の形状、乗務員室側窓後部に見られる水切り落とし込み部の角度・寸法に若干の差異が存在する。
運転台は後方に監視窓を設置するものの、屋根への造形が若干異なる。車体高さが高くなった分を尾灯下の裾部寸法を切り詰めることで調整し、運転室上部高さは151系と同じ3,880 mmとされた[4]。前灯横左右のマーカーライト[注 5]が省略された。新造時にはバックミラーが取付けられていたが、破損が多く保守困難なため大半が後述の増備車も含み1970年代前半に撤去された。また、当初は後方防護用として編成最後部となる場合には下部前照灯に赤色フィルターを取付たほか、不時停車時用に交互点滅回路が搭載されたが、ATSの完備等により1966年10月に廃止された。
車体塗装は赤2号とクリーム4号のいわゆる「国鉄特急色」である[7]。クハ481形のうち1964年新製車のクハ481-1 - 8は直流形の151系との区別のため運転台下部のスカートが赤に塗られたが、1965年増備車のクハ481-9 - 18はボンネットに「ひげ」が入れられ、東北特急用483系の登場により50 Hz・60 Hzを識別するためスカートが赤とクリーム帯の塗り分けとなった[11]。後に1 - 8も同様の塗色に変更した。
座席は161系と同じで、1等車(後のグリーン車)がリクライニングシートのR24形、2等車(後の普通車)が回転クロスシートのT17系とされた[4]。
サロ481形 (1 - 18) は1等車で客室定員は48名。レイアウトは前位側から和式トイレ+洗面所・客室・出入台・専務車掌室・洋式トイレ+洗面所と151系電車とは異なる。
サシ481形 (1 - 9) は食堂車。調理に使用する電熱機器類ならびに冷房装置対応用として定格容量70 kVAの自車給電用MGを床下に搭載する[12]。基本構造はサシ151形に準ずるが、回送運転台を調理室側妻面にも設置したほか、当初からFRP製椅子を採用するなどの相違点がある。旅客用の乗降扉はないが、物資積み込み用に外吊り式の引戸が設けられた[9]。また、それまでの電車・気動車の食堂車に設置されていた列車位置表示器は本形式より廃止された。
本グループ97両は、山陽新幹線博多開業の1975年3月10日ダイヤ改正で全車九州の鹿児島運転所(現在:鹿児島車両センター)へ転出。クハ481形 (1 - 18) は九州地区へ転出した後に赤アクセントが省略されたが、1985年の常磐線特急「ひたち」増発に伴う転用前後にスカート部がクリーム色へ変更され、「ひげ」も復元された。
電動車のモハ481形・モハ480形ユニット (1 - 26) は国鉄末期の1985年12月までに全車廃車となった[13]。サシ481形・サロ481形も国鉄時代の1981年、1985年にそれぞれ全車廃車となったが、クハ481形は全車がJR東日本へ継承された[13]。クハ481形は訓練車編成に組成された車両を除き1997年までに廃車、最後まで残存した17も2007年に廃車となった。
新製配置 | 予算 | 製造年次 | 川崎車輌 | 日立製作所 |
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向日町 | 39年第1次民有車両 | 1964 | 1 - 4 | 5 - 8 |
39年第4次債務 | 1965 | 9 - 14 | 15 - 18 |
新製配置 | 予算 | 製造年次 | 川崎車輌 | 日立製作所 |
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向日町 | 39年第1次民有車両 | 1964 | 1 - 5 | 6 - 11 |
39年第4次債務 | 1965 | 12 - 20 | 21 - 26 |
新製配置 | 予算 | 製造年次 | 川崎車輌 | 日立製作所 | 汽車会社 |
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向日町 | 39年第1次民有車両 | 1964 | 1 - 7 | ||
39年第4次債務 | 1965 | 8 - 13 | 14 - 18 |
新製配置 | 予算 | 製造年次 | 近畿車輛 |
---|---|---|---|
向日町 | 39年第1次民有車両 | 1964 | 1 - 5 |
39年第4次債務 | 1965 | 6 - 9 |
483系
1965年10月ダイヤ改正で東北本線盛岡電化完成に伴いキハ80系で運転されていた盛岡特急「やまびこ[注 6]」仙台特急「ひばり」電車化用として、1965年 - 1966年の新製後に仙台運転所(現在:仙台車両センター)へ集中配置された電動車を交流50 Hz用対応のモハ483形・482形とした計52両のグループである。
モハ483形・モハ482形はモハ481形・モハ480形との大きな差異は搭載する主変圧器で、基本構造は共通する。主変圧器は453系で採用されたTM9である。
クハ481形先頭部の塗り分けは481系に準じた「ひげ」が標記されたが、スカートは50 Hz対応の識別のためクリーム色に塗られた[8]。クハ481-26はボンネット下部の通風グリルが3箇所から2箇所に変更されている。クハ481-19・20・22・24は1982年の東北新幹線開業による九州地区転用後に赤ストライプを省略したが、1985年以降に常磐線「ひたち」再転用後に復元した。
分割民営化時にはクハ481形 (19 - 28) の全車がJR東日本に承継され、営業用車は1999年までに、訓練車に転用された24・26の2両も2007年までに廃車になった。21・28はジョイフルトレイン「華」の先頭車に改造されて2022年まで運用されていた。
モハ483形・モハ482形 (1 - 15) のうち12 - 15はJR東日本に承継され1990年に廃車された。サロ481形 (19 - 25) は1968年の編成変更により全車クロ481形50番台へ改造された。サシ481形 (10 - 14) は新製配置された仙台運転所から転属することなく1981年 - 1984年に廃車となった。
新製配置 | 予算 | 製造年次 | 日本車輌 | 近畿車輛 |
---|---|---|---|---|
仙台 | 39年第4次債務 | 1965 | 19・20 | 21 - 26 |
39年第5次債務 | 1967 | 27・28 |
新製配置 | 予算 | 製造年次 | 日本車輌 | 汽車会社 | 日立製作所 |
---|---|---|---|---|---|
仙台 | 39年第4次債務 | 1965 | 1 - 4 | 5 - 8 | |
39年第5次債務 | 9・10 | 11 - 13 | |||
40年第2次民有車両 | 1966 | 14・15 |
新製配置 | 予算 | 製造年次 | 汽車会社 |
---|---|---|---|
仙台 | 39年第4次債務 | 1965 | 19 - 22 |
39年第5次債務 | 23 - 25 |
新製配置 | 予算 | 製造年次 | 近畿車輛 |
---|---|---|---|
仙台 | 39年第1次民有車両 | 1965 | 10 - 13 |
39年第4次債務 | 14 |
485系電車
電動車ユニットが交流50 Hz・60 Hz共用とし国鉄在来線すべての電化方式に対応する3電源形のモハ485・モハ484に変更されたグループで、1968年から1979年まで製造された。
製造期間は長期に及びその間に大きな設計変更や派生形式の製造などが行われたほか、TM14形主変圧器は冷却ならびに絶縁用に使用されていたPCB(ポリ塩化ビフェニル)変圧器油の毒性が問題[注 7]となったため新造車では1974年(昭和49年)製の1500番台から変圧器油にシリコーン油を使用したTM20形に変更。それ以前の車両にも交換が施工された。
初期型(1968年 - 1972年)
従来は商用周波数の違いにより主変圧器が異なり、車両形式も50 Hz用と60 Hz用で別々に起こされていたが[注 8]交流電化区間が拡大すると全国規模の広域転属や3電源区間の直通運転が要望されるようになった[14]。1968年には全国で使用可能な50・60 Hz両用の主変圧器が開発され、1968年10月の「ヨンサントオ」改正向けに投入する特急形電車に搭載されることになり、481系・483系を統合した3電源対応版として485系が1968年7月に登場した[14]。
485系の形式となったのは電動車のモハ485・484形のみで、制御車や付随車は引き続き481系と共通になったが、以後の増備車両は485系と総称されるようになった[15]。電動車以外では東北特急「やまばと」「あいづ」用にクロ481形が登場している。1970年には東北特急「ひばり」「やまびこ」12両化用としてサハ481形が登場した。
車体は耐候性に優れる高張力鋼が採用され、車内の天井板はメラミン化粧板が使用された[14]。客用側扉はステンレス化され、戸袋部にレールヒーターが設置された。481系・483系で準備工事であった行先表示器は583系とともに本使用が開始されたほか、車側表示灯が食堂車を除いて車体端から車体中央寄りに移動された[14]。サシ481形 (15 - 39) は客室窓のカーテンがベネシャンブラインド内蔵の二重窓に変更された[14]。クハ・クロ481形のスカートは483系と同じくクリーム色とされた[14]。
主変圧器は50/60 Hz両用のTM14とされた[14]。直流区間を含めて3電源対応となったことから「走る変電所」とも通称された[16]。主電動機はMT54B、主制御器はCS15E、パンタグラフはPS16H形2基となり、いずれも耐寒耐雪性能の向上が図られている[14]。
ヨンサントオ改正では電車特急の120 km/h運転が実施されるため、ブレーキ率の向上が図られた[14]。ブレーキ弁は直通ブレーキのシリンダ圧を向上したME38AE2、ブレーキ制御装置は電動車がC1AE、付随車がC2AEとなった[14]。また、東北特急は所要時間短縮のために交直地上切換方式の駅である黒磯駅を停車せずに通過可能なよう、制御車(クハ・クロ)に交直車上切換用選別子が設置された[14]。
ヨンサントオ改正での奥羽本線特急「やまばと」・磐越西線特急「あいづ」電車化にあたり、板谷峠急勾配区間でのMT比2:1の確保と磐越西線でのホーム有効長問題から食堂車と1等車を同時連結の上で6M3Tの9両編成とすることになり、クロ481形 (1 - 5) が日本車輌製造で製造された。定員は36名で、車掌室・トイレ・洗面所・出入口を客室後位側に設置し、冷房装置はAU12形を4基搭載する[17]。また、既配置のサロ481形→クロ481形50番台改造工事も施工されたが、新造車も改造車に合わせた設計となったため全長はクハ481形0番台よりも短い21,100 mmとなった。
クハ・クロ481形のうち1969年(昭和44年)の増備車(クハ481-30 - 40、クロ481-5)からはボンネット下部の通風グリルのスリットが横型から縦型に変更された[11]。また、後方防護用赤色フィルターや不時停車時用交互点滅回路は新造時から未装備である。新幹線博多開業後の1975年以降に九州へ転出した車両は「ひげ」が省略されたが、1985年3月改正で常磐線へ転用された車両(31・32・34・36・38・40)は「ひげ」が復活している。
1971年にはボンネット車のマイナーチェンジ車としてクロ481・クハ481形100番台が登場した。MGを583系で用いた容量210 kVAのMH129-DM88形として床下へ移設[18]、先頭車内部の搭載機器はCPのみとした。前照灯を白熱灯からシールドビームに変更、ボンネットの冷却用外気取入口にダクト状のカバーを装着した。クハ481・クロ481とも1972年(昭和47年)増備の102以降はタイフォンの設置位置がスカート部からボンネットに変更された(後に101も移設)。クハ481-109は1972年5月に60 Hz用赤スカート塗装で落成し、東北特急で運用後に同年9月に青森から向日町へ転出した。
1972年(昭和47年)製造車(MM'ユニット62 - 96・クハ481-105 - 126・サハ481-14・サロ481-36 - 51・サシ481-29 - 39)は台車の枕ばねをベローズ式からダイヤフラム式へ変更したDT32E・TR69E形となった。
クロ481形0番台 (1 - 5) は1・2が1975年に九州へ転出、3 - 5は1983年にクハ481形600番台へ改造されて九州へ転出し、全車とも分割民営化時にはJR九州に承継された。クハ481-602は1988年にクロ481-4に復元されたが、各車とも1995年(平成7年)までに全車廃車となった。クロ481形100番台 (101 - 104) は1982年に全車が九州へ転出、JR九州に承継され1996年までに全廃となった。
クハ481形0番台 (29 - 40)は分割民営化時にはJR東日本とJR九州に承継されたが、JR九州では1996年(平成8年)までに、JR東日本ではジョイフルトレインの種車となった車両を除き2000年(平成12年)までに廃車された。クハ481形100番台 (101 - 126) は102のみJR東日本、他はJR西日本に承継されたが、2004年(平成16年)までに全車廃車となった。
モハ485形・モハ484形 (1 - 96) は分割民営化時にはJR東日本・JR西日本・JR九州に承継されたが、JR九州では1994年(平成6年)までに、JR東日本では訓練車に改造されたモヤ484-2(旧モハ484-61)が2007年(平成19年)に、JR西日本では2011年(平成23年)にそれぞれ廃車となり区分消滅した。サハ481形 (1 - 14) は国鉄時代に一部がサハ489形やクハ480形に改造され、未改造車はJR九州に継承されたが、2000年までに全車廃車となった。
サロ481形 (26 - 51) は国鉄時代に3両がサロ181形1050番台へ、4両がクロ480形へ改造された。未改造車は民営化時にJR北海道、JR東日本、JR西日本、JR九州に承継されたが、JR北海道では1990年に、他社はJR西日本を最後に2001年に全廃された。サシ481形 (15 - 39) は全車国鉄時代に廃車された。
JR東日本で訓練車に転用されていた編成のうち、モヤ484-2は営業仕様のモハ484-61に復元され、クハ481-26とともにさいたま市の鉄道博物館で保存されている[16]。JR九州継承車はクロ481-5を格下げ改造したクハ481-603が九州鉄道記念館に保存されている。
新製配置 | 予算 | 製造年次 | 日立製作所 | 日本車輌 | 近畿車輛 | 東急車輛 |
---|---|---|---|---|---|---|
仙台 | 42年第2次債務 | 1968 | 29 | |||
43年第4次債務 | 1969 | 30 | ||||
向日町 | 31・32 | 33・34 | ||||
43年第5次債務 | 35・36 | |||||
44年民有車両 | 1970 | 37・38 | ||||
45年第1次債務 | 1971 | 39・40 |
車両番号 | 製造会社 | 予算 | 落成日 | 新製配置 | 九州地区転属 | クハ481改造 | 廃車日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 日車 | 42年第2次債務 | 1968.6.3 | 仙台 | 1975.5.30 南福岡 |
1993.4.23 鹿児島 |
||
2 | 1968.6.4 | 1975.6.6 南福岡 | ||||||
3 | 1968.6.6 | 1983.10.5 鹿児島 |
601 | 1993.11.7 鹿児島 | ||||
4 | 1968.6.6 | 602 | 1993.3.24 鹿児島 |
1988.12.4 クロ481-4に復元 | ||||
5 | 43年第4次債務 | 1969.6.27 | 1983.10.31 鹿児島 |
603 | 1995.3.24 南福岡 |
九州鉄道記念館 静態保存車 |
車両番号 | 製造会社 | 予算 | 落成日 | 新製配置 | 南福岡転属 | 鹿児島転属 | 廃車日 |
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101 | 日車 | 45年第2次債務 | 1971.6.30 | 仙台 | 1982.12.2 | 1988.3.7 | 1995.3.24 |
102 | 東急 | 46年本予算 | 1971.12.23 | 1982.10.2 | 1988.3.2 | ||
103 | 日立 | 1971.12.22 | 1982.9.25 | 1988.3.1 | 1995.10.5 | ||
104 | 46年第1次債務 | 1972.2.24 | 1982.10.15 | 1988.2.27 | 1996.3.31 |
新製配置 | 予算 | 製造年次 | 東急車輛 | 日立製作所 | 日本車輌 | 川崎重工業 |
---|---|---|---|---|---|---|
仙台 | 45年第2次債務 | 1971 | 101 | |||
46年本予算 | 102 | 103 | ||||
46年第1次債務 | 1972 | 104 | ||||
青森 | 46年第2次債務 | 125・126 | 109・110・113 - 118 | |||
向日町 | 105・106 | 119 - 124 | 107・108 | 111・112 |
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 日立製作所 | 日本車輌 | 近畿車輛 | 汽車会社 | 川崎重工業 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1968 | 仙台 | 1 - 12 | 13 - 17 | ||||
1969 | 18 - 20 | ||||||
向日町 | 24 - 27 | 28 - 30 | 21 - 23 | ||||
1970 | 仙台 | 34 - 36 | 37 - 43 | ||||
向日町 | 31 - 33 | ||||||
1971 | 仙台 | 50 - 53 | 54 - 57 | 47 - 49 | |||
向日町 | 44 - 46 | ||||||
1972 | 仙台 | 58 - 61 | |||||
向日町 | 62 - 64 | 82 - 88 | 65 - 67 | 72 - 74 | |||
青森 | 89 - 96 | 68 - 71 75 - 81 |
製造年次 | 新製配置 | 日本車輌 | 汽車会社 | 東急車輛 | 日立製作所 |
---|---|---|---|---|---|
1970 | 仙台 | 1 - 5 | 6 - 10 | ||
1971 | 11 | 12 | 13 | ||
1972 | 14 |
製造年次 | 新製配置 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 | 東急車輛 | 日本車輌 |
---|---|---|---|---|---|---|
1969 | 向日町 | 26・27・30・31 | 28 - 29 | |||
1970 | 34・35 | 32・33 | ||||
1972 | 41・42 | 46 - 49 | 36・37 | 38・39 | ||
青森 | 40・43 - 45 | 50・51 |
製造年次 | 新製配置 | 近畿車輌 | 日立製作所 | 日本車輌 | 東急車輛 | 川崎重工業 |
---|---|---|---|---|---|---|
1968 | 仙台 | 15・16 | 17 - 20 | |||
1969 | 21 | |||||
向日町 | 22 - 24 | |||||
1970 | 26 | 25 | ||||
1971 | 仙台 | 28 | 27 | |||
1972 | 29 | |||||
向日町 | 36・37 | 31 | 30 | 33 | ||
青森 | 38・39 | 32 | 34・35 |
中期型(1972年 - 1973年)
電車特急網の整備が全国に進むと、将来的には電車急行のような分割・併合運転が電車特急でも行われることが予想された[19]。1972年10月の羽越本線新津 - 秋田間電化で日本海縦貫線特急「白鳥」「いなほ」電車化用に投入された62両以降は、同年6月に登場した直流特急形の183系に準じた前面貫通構造の採用と冷房装置の変更などの設計変更が行われることになり、485系200番台と称されるグループが登場した[19]。向日町運転所・仙台運転所・青森運転所に新製配置された。
モハ485 | モハ484 |
---|---|
97 | 201 |
↓ | |
135 | 239 |
136 | 601 |
137 | 240 |
↓ | |
145 | 248 |
146 | 602 |
147 | 249 |
↓ | |
206 | 308 |
クハ481形は分割併合を考慮した前面貫通形を採用し、200番台に番台区分された[20]。連結面車体長も21000 mmと短縮されたが、定員はボンネット車より8名多い64名となった[20]。運転台からの後方監視窓はない。前頭部の連結器はボンネット車の並形自動連結器に代わり中間車と同じ密着連結器が採用された[19]。
貫通路の構造はクハネ581形・クハネ583形同様に外扉を設けて貫通扉などを隠すものであるが、外扉の開閉は空気シリンダーにより自動化された。正面の列車名表示器は貫通扉幅の制約から小型化された手動式である。運転室への昇降は201 - 220がはしご式、221以降が階段式であるほか、階段式車では客室から乗務員室へのドアを右側にオフセットする設計変更が行われた。
青森配置車の203・204[注 9]・207・208には電気連結器と自動解結装置および自動貫通幌引出装置が試験的に装着されていた[21]。これらは分割・併合運用の際に作業の省力化を狙ったものだったが、数回テストされたにとどまり1976年に撤去された[注 10]。
冷房装置はモハ484形は1基で1両全体を冷房できるAU71A形集中式冷房装置へ、その他の形式ではAU13E形分散式冷房装置5基搭載へ変更された[19]。モハ484形は集中式冷房装置への変更に伴い平天井となり、AU41形床置冷房用機器室と業務用室の廃止で定員が8名増加の72名となり、200番台 (201 - 308) に区分された[22]。
台車は空気ばねをダイヤフラム式としたDT32E・TR69Eが当初より使用された[21]。クハの床下には210 kVAのMGと容量を2000 L/minへ変更したMH113-C2000形CPが搭載された[12]。
東北特急ではグリーン車を編成端に連結していたため、編成中間に専務車掌室と業務用室を設けた普通車がモハ484形に登場し、600番台 (601・602) に番台区分された。定員は200番台より8名少ない64名である[22]。一般に特急列車の専務車掌室は編成中央部にあるグリーン車のものを使用する傾向があるが、東北特急では仙台運転所編成が上野方先頭車にクロ481形を組み込み、青森運転所編成もサロ481形は2号車に連結していた[23]。この構造は後の1000番台・1500番台に承継された。
モハ485形 (97 - 206) ・サロ481形 (52 - 103) ・サシ481形 (40 - 72) は冷房装置以外に大きな設計変更がないために在来車の続番とされた。このためそれまで一致していたMM'ユニットの車両番号が不揃いとなった。
クハ481形200番台は全部で63両 (201 - 263) が製造されたが、新造時に42両が青森運転所に、21両が向日町運転所に集中配置された。青森に配置されていた100番台車10両は全車が向日町運転所に早期転出となった。これは当時東北本線系統と奥羽本線系統の特急を福島駅で分割・併合運転する計画があり準備段階として集中配置を行ったもののホーム有効長・奥羽本線板谷峠急勾配の制約などの諸事情等で計画は白紙に戻された[注 11]。さらに欠点である隙間風や居住性の悪さが乗務員から敬遠され、300番台以降の非貫通型クハに置換えが進み青森配置車は国鉄時代に北陸・九州地区へ全車転出した。
分割併合運用については1976年から長崎本線・佐世保線の「かもめ」「みどり」でも実施されたが、この時は正面貫通路を一切使用していない。営業運転での正面貫通路の使用開始は1985年3月14日ダイヤ改正による「くろしお」からで、それ以前から使用する見込みのない車両は腐食防止や隙間風対策の観点から外扉の溶接もしくは貫通路を完全に埋込む改造が施工された。
サシ481形は国鉄時代に54・55・69 - 71の5両がサロ481-501 - 505(和式グリーン車「だんらん」)へ、52・67の2両は一旦廃車され車籍抹消となった後に車籍復活とスシ24 3・501へ改造された。分割民営化時にはJR東日本に64・68、JR北海道に50の3両が承継され、JR東日本所属の2両は1988年にスシ24 504・505へ、50は1989年にスシ24 508へ改造され本形式は消滅した。
電動車ユニットはモハ485-196・モハ484-298が最後まで残存していたが、2016年1月28日で廃車となり区分消滅した。サロ481形は2004年2月にJR西日本が承継した68・71の廃車により消滅した。クハ481形200番台はJR九州で国鉄色に復元されていた大分車両センター所属の256が2016年10月2日付で廃車され区分消滅、廃車後は小倉工場で保存されている。
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 日本車輌 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 |
---|---|---|---|---|---|---|
1972 | 青森 | 201 - 204 | 205・206 211・212 |
207・208 213 - 218 227・228 |
209・210 219・220 |
|
向日町 | 225・226 | |||||
1973 | 青森 | 235 258・259 |
221 - 224 254・255 |
229・230 256・257 |
237・238 262・263 |
236 260・261 |
向日町 | 233・234 245・246 |
243・244 | 231・232 251 - 253 |
239 - 242 247 - 250 |
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 日本車輌 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 |
---|---|---|---|---|---|---|
1972 | 青森 | 201 - 208 | 209 - 212 221 - 224 |
213 - 216 230 - 233 247・248 602 |
217 - 220 | |
向日町 | 225 - 229 243 - 246 |
234 - 236 | ||||
1973 | 青森 | 293 - 296 | 237 - 239 285 - 288 601 |
289 - 292 | 262 - 264 301 - 308 |
297 - 300 |
向日町 | 256 - 258 273・274 |
240 - 242 271・272 277 |
249 - 255 281 - 284 |
265 - 270 275・276 278 - 280 |
259 - 261 |
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 日本車輌 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 |
---|---|---|---|---|---|---|
1972 | 青森 | 97 - 104 | 105 - 108 117 - 120 |
109 - 112 126 - 129 144 - 146 |
113 - 116 | |
向日町 | 121 - 125 140 - 143 |
130 - 132 | ||||
1973 | 青森 | 191 - 194 | 133 - 136 183 - 186 |
187 - 190 | 160 - 162 199 - 206 |
195 - 198 |
向日町 | 154 - 156 171・172 |
147 - 153 169・170 |
147 - 153 179 - 182 |
163 - 168 173 - 178 |
157 - 159 |
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 日本車輌 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 |
---|---|---|---|---|---|---|
1972 | 青森 | 52 - 55 | 56・57・59 | 64・72・73 | 58 | |
向日町 | 60 - 63 70・71 |
65・66 | ||||
1973 | 青森 | 101 | 67・99 | 100 | 103 | 102 |
仙台 | 84 - 86 | |||||
向日町 | 79 - 81 91・92 |
68・69 | 74 - 78 97・98 |
87 - 90 93 - 96 |
82・83 |
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 日本車輌 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 |
---|---|---|---|---|---|---|
1972 | 青森 | 40・41 | 42・45 | 43・48 54・55 |
44 | |
向日町 | 46・47 | 49・53 | ||||
1973 | 青森 | 70 | 50・68 | 69 | 72 | 71 |
仙台 | 60 | |||||
向日町 | 58・64 | 51・52 63・67 |
56・57 65・66 |
61・62 | 59 |
後期型(1974年 - 1976年)
モハ485 | モハ484 |
---|---|
207 | 309 |
↓ | |
223 | 325 |
224 | 603 |
↓ | |
228 | 607 |
229 | 326 |
↓ | |
248 | 345 |
249 | 608 |
↓ | |
255 | 614 |
1972年より増備されていた485系200番台は前面貫通構造が採用されていたが、貫通扉からの隙間風侵入や運転台スペースが狭いなどの課題があった[24]。また、同時期新製の183系では普通席に簡易リクライニングシートが採用されていたことから、485系においても前面非貫通化や座席の簡易リクライニング化などの改良を加えた増備車として485系300番台と称されるグループが1974年に登場した[25]。新たに金沢運転所・南福岡電車区・秋田運転区にも新製配置された。
クハ481形は前面非貫通の形状となり、300番台に区分された[25]。車体長を200番台より250 mm延長し、0番台・100番台と同じ連結面車体長が21,250 mmとなった[25]。定員は200番台と同じ64名である[20]。貫通扉用のレールは存置されたほか、運転室後部の後方確認用小窓が復活した[25]。騒音源であった床下のCPは助士席下部へ移設され、助士席下部の車体側面には空気圧縮機用通風ルーバーが設けられた[20]。列車名表示器は大型長方形で側面方向幕連動の電動式に変更された。以後に製造された1500番台・1000番台は基本的にこのグループの同期製造車の仕様を踏襲する。
普通車の座席は183系電車や14系客車と同様に簡易リクライニングシートを採用し、R-51AN形が設置された[25]。一部車両では循環式汚物処理装置準備工事[注 12]を施工した。
1975年増備車では付随台車の設計変更があり、クハ481-311・313・315 - 354・サロ481-115 - 133・サハ481形100番台はブレーキシリンダをダイヤフラムシリンダとしたTR69H形に変更された。また側面ドアコック蓋・非常口ハッチをユニット式に、電動車については妻面の冷却風取り入れダクトの形状も変更された。
クハ481形300番台は54両が製造され、東北地区に重点投入のうえで貫通型200番台を九州の長崎本線・佐世保線電化用に捻出した[25]。他形式の車両番号は中期型からの続番で、MM'ユニットはモハ485-207 + モハ484-309からとされたが、モハ484形は車掌室・車販準備室の付いた600番台(603以降)も製造されたことから番号の組み合わせが不揃いである。サハ481形は15が仙台運転所に、16 - 19は金沢運転所(現在:金沢総合車両所)に配置された。食堂車はサシ481形73 - 76(及び同時期のサシ489形)をもって製造終了し、以後は既存車両の改造転用で賄われた[26]。
サロ481形は104 - 133が製造されたが、このうち1975年11月改正での奥羽本線羽前千歳 - 秋田間電化と「つばさ」電車化用に新製された115・116・122・123・127・128の6両は、雪害対策として床下にMG・CP搭載、前位車端部に車販準備室・車販コーナー設置で製造された[25]。1978年にサロ481形1000番台1051 - 1056へ改造されている。
1976年にはサハ481形100番台が18両製造され、北陸・九州特急増強用に向日町と南福岡へ集中配置された。後位側に車販準備室・業務用室が設置され、定員はサハ481形0番台より8名少ない64名である[27]。床下にMG・CP設置準備工事が施工されており、1978年10月のダイヤ改正で東北特急3MG化のため一部が仙台運転所へ転出した。
1985年3月改正で北陸特急「雷鳥」系統への食堂車連結が終了し、食堂車が外されてMG・CP付きのサハ481形100番台が組み込まれた[27]。サシ481-73・74は1985年に和風グリーン車「だんらん」へ改造、75・76は1986年3月31日付で一旦廃車されたが1987年3月に車籍復活の上でスシ24 502・503へ改造され、JR北海道へ継承された。サハ481形100番台は後に大部分がクハ481形や183系・189系電車の先頭車に改造され、残った車両も1998年の廃車をもって区分消滅している[27]。
サハ481形0番台の15 - 19は、1985年に全車が紀勢本線特急増発用のクハ480形に改造されて消滅した[28]。サロ481形はJR西日本が承継した118の2005年12月廃車で原型車が消滅、クハ481形300番台は2015年7月3日にJR東日本仙台車両センター所属の334が廃車され区分消滅した[29]。
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 川崎重工業 | 日立製作所 |
---|---|---|---|---|
1974 | 向日町 | 301・302・304 | ||
金沢 | 303・305 306・308 |
307・310 | ||
仙台 | 312・314 | |||
1975 | 青森 | 332 - 337 | 311・313・315 | 342 |
金沢 | 318 - 327 | 343・344 | ||
仙台 | 328 - 331 | 316・317 | 338 - 341 | |
1976 | 青森 | 345 - 352 | ||
仙台 | 353・354 |
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 川崎重工業 | 日立製作所 |
---|---|---|---|---|
1974 | 仙台 | 309・310 | 603 - 607 | |
向日町 | 311 - 315 | |||
金沢 | 316 - 322 | 323 - 325 | ||
1975 | 青森 | 610・611 | ||
仙台 | 608・609 | |||
金沢 | 329 - 336 | 343 - 345 | ||
南福岡 | 337 - 342 | 326 - 328 | ||
1976 | 青森 | 612 - 614 |
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 川崎重工業 | 日立製作所 |
---|---|---|---|---|
1974 | 仙台 | 207・208 | 224 - 228 | |
向日町 | 209 - 213 | |||
金沢 | 214 - 220 | 221 - 223 | ||
1975 | 青森 | 251・252 | ||
仙台 | 249・250 | |||
金沢 | 232 - 239 | 246 - 248 | ||
南福岡 | 240 - 245 | 229 - 231 | ||
1976 | 青森 | 253 - 255 |
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 |
---|---|---|---|---|---|
1974 | 仙台 | 15 | |||
金沢 | 16・17 | 18 | |||
1975 | 19 | ||||
1976 | 向日町 | 101 - 113 | |||
南福岡 | 114 - 118 |
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 川崎重工業 | 日立製作所 |
---|---|---|---|---|
1974 | 仙台 | 114 | ||
金沢 | 108 - 111 | 112・113 | ||
向日町 | 104 - 107 | |||
1975 | 青森 | 130 | ||
秋田 | 122・123 | 115・116 | 127・128 | |
仙台 | 124・125 | 126・129 | ||
金沢 | 117 - 121 | 131・132 | ||
1976 | 青森 | 133 |
製造年次 | 新製配置 | 日立製作所 | 東急車輛 |
---|---|---|---|
1974 | 向日町 | 73・74 | |
金沢 | 75 | ||
仙台 | 76 |
モハ485 | モハ484 |
---|---|
1-96 | 1-96 |
97-133 | 201-237 |
134 | 601 |
135-144 | 238-247 |
145 | 602 |
146-223 | 248-325 |
224-228 | 603-607 |
229-248 | 326-345 |
249-255 | 608-614 |
1500番台
北海道の函館本線の電化区間であり道央都市間連絡の要となる札幌 - 旭川[注 13]間では冬期も安定した性能を誇る711系電車による急行「かむい」ならびにノンストップ急行「さちかぜ」が堅調な実績を上げていた。そのため同系をベースとした新型交流専用特急車が計画されたが、TM14形を含む従来形主変圧器で絶縁・冷却に使われていたPCB油の毒性が判明し、油種変更に対応するため計画は一時頓挫した。だが、沿線と北海道総局の期待が強いことから、暫定的に485系をベースとして北海道向け耐寒耐雪強化車が1973年度第1次債務で川崎重工業(現在:川崎重工業車両カンパニー)と日立製作所笠戸事業所の2社により新造されることが決定し、1974年に北海道向け特別耐寒耐雪形である485系1500番台が登場した[30]。
編成はモノクラス4M2Tの6両編成とされ、6両編成3本と予備のMM'ユニット1組・クハ481形2両の計22両が製造された[31]。クハ481形は300番台と同様の非貫通型であるが、冬季の視認性向上の観点から運転台上前照灯を2灯とした[32]。また、ワイパーブレードを4本に増強し運転台側面ガラスも熱線入りに変更した[30]。モハ484形は専務車掌室・車販準備室設置とした600番台の構造を踏襲した。
台車は呼吸式軸箱とした上で軸箱支持装置用軸ばねをゴムでカバーし、電動車では両抱き式耐雪ブレーキならびに鋳鉄製制輪子対応のDT32G形を、クハ481形では踏面清掃装置付のTR69G形を装着した。主抵抗器は強制通風であるが、電動送風機が停止しても力行可能なMR127形とされた[33]。主変圧器はPCB油に代わり無害なシリコーン油を使用するTM20形が採用された。床下機器箱には凍結防止用電熱ヒーターを追加し、防雪ならびに粉雪浸入防止シール類を新設した。
新製直後は耐寒耐雪装備の試用を兼ねた青森運転所への貸渡名目で大阪 - 青森間の「白鳥」に充当された。「白鳥」暫定運用時は前面ヘッドマークをシール貼りとした[32]。1975年7月より北海道初の電車特急「いしかり」の運行が開始された[34]。北海道での運用にあたっては先頭車の連結器を並形自動連結器としたが、これは青函連絡船を含み非電化区間となる青森→札幌の配給回送ならびに車両故障発生時のED76形500番台やDD51形による牽引を行うためである。
しかし、485系は基本設計が本州仕様であることから冬季の北海道でのトラブルが多発した。巻き上げた雪で尾灯が埋もれる現象が多発したため、1976年に苗穂工場で尾灯が外付け式に改造された。無接点制御装置搭載の711系電車に対し485系では主制御器などの電装部品に可動部品や接点が多く、侵入した粉雪の融解による絶縁不良や再凍結による動作不良が発生した。機器箱に負圧部を作らないよう対策を取らなかったため走行時の負圧でアスピリンスノーと称される極微粒の粉雪を吸い込み、機器の熱で溶けて故障の元となった。
また、走行中は負圧となる車内に北海道特有の粉雪が出入口や貫通幌隙間から大量に侵入し、凍結した客用扉の不作動による遅延・運転打切り・運休が続発した。扉のヒーターにより雪は一旦は溶けるものの、走行中に冷やされ氷結し客用扉を固着させるため、次駅までの20分 - 30分間に凍結する対策として湯の入った大型やかんをいくつも用意し扉に湯を掛けて氷を溶かした。
これらトラブルの根本的解決のため、1978年には北海道専用特急電車となる781系電車が開発され、1980年には量産車による置換えが完了した。485系1500番台は1980年夏までに全車が本州の青森運転所に転出し、台車を標準品のDT32E・TR69H形に、主抵抗器をMR52Dに、クハの先頭連結器を密着連結器に交換した。
本州転出後は青森運転所所属で「いなほ」・「はつかり」・「むつ」で運用されていたが、電動車ユニットは1985年3月改正で全車が向日町運転所へ転出し、北陸本線特急「雷鳥」で運用された[35]。この電動車ユニットは国鉄分割民営化前の1986年11月改正で上沼垂運転区へ転属し、日本海縦貫線系統の「白鳥」「雷鳥」「北越」で運用された[35]。クハ481-1502 - 1505・1507の5両も1986年に上沼垂区へ転属した。クハ481-1508は1982年の広域転配に伴う転属車牽引のため鹿児島運転所へ入線したことで電化区間最北端・最南端両方への到来実績がある。
-
クロハ481-3020
(元・クハ481-1501) -
クロ481-1503
-
クハ481-1505
-
クハ481-1507
485系1500番台は全車がJR東日本に継承された[35]。このうちクハ481形は青森残留車と上沼垂運転区・秋田運転区へ転出する車両に分かれたが、最終的には全車とも一度は新潟へ配置された。上沼垂区の電動車ユニットは全車がグレードアップ改造を受けたが2002年に全廃となった[35]。
クハ481-1501は1987年にクロハ481-1020へ改造、1999年に3000番台リニューアル改造でクロハ481-3020となったが、2006年に新潟へ転出し2017年4月6日付で廃車された[36]。クハ481-1506は秋田を経て新潟へ転出し、2000年に3000番台リニューアル改造でクハ481-3506となったが、JR羽越本線脱線事故で被災し2007年3月31日付で廃車された。
クハ481-1502・1503は上沼垂グレードアップ改造施工を経て2006年に長野支社のジョイフルトレイン「彩(いろどり)」のクロ481-1502・1503へ改造されたが、屋根上の2灯前照灯は撤去された。2015年7月1日付で交直切換機能を直流側に固定しクロ481-5502・5503へ再改番[37]されたが、2017年10月20日付で廃車された[38]。
クハ481-1504・1505は上沼垂グレードアップ改造を経て2002年より勝田電車区の波動輸送用K60編成に組み込まれたが、2013年1月で運用離脱し廃車回送された[39]。クハ481-1507も上沼垂グレードアップ改造が施工されたが、2006年6月1日付で廃車された。
クハ481-1508はJR化以降の1987年に秋田へ転出し「つばさ」「あいづ」用にATS-Pを搭載、1992年に青森へ再転出し急行「津軽」用に車内減光装置を搭載した。2000年に上沼垂へ転出して2001年よりT18編成[注 14]の先頭車となり、2008年6月には上沼垂色からの塗装変更で国鉄色が復活した[30]。2014年現在は新潟車両センター所属で特急「北越」、快速「くびき野」で運用されていた[35]が、2015年7月10日付で廃車となった[29]。廃車後は新津鉄道資料館で保存されている[40]。
車両番号 | 製造会社 落成日 新製配置 |
転属 | 改造 | 廃車 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
1501 | 川重 1974.5.23 札幌 |
青森 1980.9.10 |
新潟 2006.3.24 |
クロハ481-1020 1987.12.24 クロハ481-3020 1999.3.24 |
2017.4.6 | ||
1502 | 青森 1980.8.10 |
新潟 1986.9.19 |
長野 2006.5.22 |
クロ481化 2006.5.22 5502・5503へ改番 2015.7.1 |
2017.10.2 | ||
1503 | 新潟 1986.10.28 |
||||||
1504 | 青森 1980.6.11 |
勝田 2002.12.6 |
2013.1.23 | ||||
1505 | 日立 1974.4.25 札幌 |
新潟 1986.9.19 |
|||||
1506 | 青森 1980.9.10 |
秋田 1992.7.1 |
新潟 1997.3.27 |
クハ481-3506 2000.12.12 |
2007.3.31 | ||
1507 | 日立 1974.6.1 札幌 |
青森 1980.9.28 |
新潟 1986.10.15 |
2006.6.1 | |||
1508 | 秋田 1987.7.1 |
青森 1992.7.1 |
新潟 2000.7.2 |
2015.7.10 |
車両番号 | 製造会社 | 落成日 | 新製配置 | 青森 転属 |
向日町 転属 |
上沼垂 転属 |
廃車日 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1501 | 川重 | 1974.5.23 | 札幌 | 1980.9.10 | 1985.2.14 | 1986.11.1 | 2001.7.19 |
1502 | 1980.8.10 | 1985.2.5 | 2001.6.13 | ||||
1503 | 1980.6.11 | 1985.2.14 | 2002.4.2 | ||||
1504 | 日立 | 1974.4.25 | 1980.8.10 | 2001.4.3 | |||
1505 | 1980.9.10 | 2002.4.2 | |||||
1506 | 1974.6.1 | 1980.9.28 | 1985.3.14 | 2001.4.3 | |||
1507 | 1985.2.5 | 2001.11.21 |
1000番台
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クハ481-1015 公式側
-
クハ481-1015 非公式側
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クハ481-1016 公式側
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クハ481-1016 非公式側
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モハ484-1023 公式側
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モハ484-1032 非公式側
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モハ485-1032
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クハ481-1015 ジャンパ連結器詳細
助士席側
KE9形 高圧三相引通
運転席側
KE70形 総括制御用(右)
KE76形 給電区分変更制御用(左)
本系列は元々耐寒耐雪構造ではあったが、それでも冬期の東北地方を走行する「白鳥」や「いなほ」では雪害によるMG故障など車両故障が多発したことから、1974年に登場した183系1000番台をベースにした耐寒耐雪強化構造の電車の投入が要望された[41]。183系1000番台は両先頭車の電動発電機(MG)・電動空気圧縮機(CP)に加えて中間車のサロにもMG・CPを搭載した「3MG方式」が取られており、先頭車のMGが故障した際にもサービス電源と圧縮空気の供給に支障がないようにされていた[42]。
1975年の奥羽本線羽前千歳 - 秋田間電化に伴う特急「つばさ」電車化における485系投入では、当初は九州の長崎本線・佐世保線電化用の200番台にスタンバイMG付きで新製されたサロ481形とジャンパ連結器を改造した従来のサシ481形を組み込んで「つばさ」に暫定投入された。1976年には485系基本番台後期型を元にした耐寒耐雪強化仕様車が開発され、485系1000番台が登場した[43]。
編成は中間にMG・CP付きのサロ481形を組み込んだ3MG方式の12両編成とし、食堂車は既存車の引き通し線追加改造車が編入された。クハ481形は300番台に準じた非貫通型で、モハ484形は東北地区の要望から600番台に準じた車掌室付きとされた[41]。サロ481形は前位車端部のトイレ・洗面所を車販準備室・車販コーナー設置に仕様変更した。485系1000番台ではMGトラブル発生時にクハ481形運転席から給電区分をワンタッチで変更できるよう改良されたため、KE76形ジャンパ連結器1基による給電制御用引通線を増設した。クハ481形は片渡りとなり、奇数番号車が奇数向き、偶数番号車が偶数向きに固定された[44]。
当初は「つばさ」用として秋田運転区へMM'ユニット24組48両・クハ481形12両・サロ481形6両の計66両が[注 15]、1978年から1979年にかけて秋田運転区への増発対応用としてMM'ユニット32組64両・クハ481形18両・サロ481形2両の計102両が、青森運転所へ在来車に代わる増備車としてMM'ユニット28組56両・クハ481形13両の計69両、全体で237両が新製された。
食堂車のサシ481形は新製されず、既存車に引通線増設などの改造を計14両へ施工し充当した。既存車に搭載の70 kVA MGは電子レンジなどの調理用とし、冷房・照明などサービス電源はクハからの供給とされた[41]。サシ481形は原番号のままで、サシ489形からの改造車は横軽協調運転装置を外してサシ481形80番台へ改番された。青森運転所への1000番台新製配置車には食堂車は組み込まれなかった。1976年施工の6両は「つばさ」電車化用に伴う元「にちりん」用編成からの転用車で、他車の九州復帰後もこの6両は秋田に残留した。1978年ならびに1979年施工の8両は「つばさ」増発用で、余剰となった仙台運転所のサシ481形1両、金沢運転所のサシ481形5両とサシ489形3両を改造して充当した。
モハ484形の主整流器は当初乾式風冷式のRS22A形もしくはRS40A形を搭載したが、1010・1012・1014・1016・1018・1020・1022・1024はフロン沸騰冷却式のRS45A形を、1979年製造の1081 - 1088は改良型のRS45B形を搭載する。
電動発電機(MG)・電動空気圧縮機(CP)・主電動機の寒冷地仕様強化ならびに器箱密閉化および防水処置・空気ブレーキ装置の機器箱収納化を実施した[45]。主電動機およびMG冷却用風道に夏⇔冬切替およびフィルター交換の容易化を施工[46]、水揚装置で凍結対策を施工した[47]。クハ481形は乗務員室の暖房を強化した。
電動台車はブレーキシリンダに防雪カバーを取付けたDT32E形、付随台車はゴムシリンダ式としたTR69H形とし、クハ481形の先頭台車にスノープロウを装着した[43]。
210 kVA MGとCPを搭載するサロ481形ならびに厨房設備に対応する70 kVA MGを搭載するサシ481形では、通常時は自車給電とし、いずれかのクハ481形が搭載するMGに異常が発生した際にはサロ481形搭載MGからの給電区分に切り替える。また、サシ481形のMGに異常が発生した場合もサロ481形からの給電となり[注 16]、サロ481形搭載MGに異常が発生した場合はクハ481形からの給電となるバックアップが確保された。
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1978年以降製造の車両はモハ484形の冷房装置をAU71B形に変更し、屋根上ランボード構造も変更された。屋根布はアルミ蒸着ビニール(銀色)から通常の屋根布(灰色)へ変更された。モハ485形・484形およびサロ481形の車端部には埋め込み型手摺りを設置した。普通車の簡易リクライニングシートは背もたれが倒れた状態でロックが可能なR-51BN形へ変更した[44]。1979年6月19日に川崎重工業が製造したモハ485・484-1085 - 1088・クハ481-1040 - 1043の落成を最後に本系列の製造が終了した。
1978年の「つばさ」増発時には基本番台の3MG車サロ481-115・116・122・123・127・128の6両が1000番台用引き通し線装備改造を行い、サロ481-1051 - 1056となった。
分割民営化時にモハ485・484-1001 - 1006・1025 - 1029がJR西日本に、他はJR東日本に承継された。JR西日本承継車はグレードアップ化改造された車両も存在するほか、組換により在来車とユニットを組成したケースも多い。JR東日本承継車はクハ481形43両中29両がクロハ481形に、モハ485形は9両がクモハ485形に改造されるなど短編成化に起因する施工例が多く、3000番台化された96両中89両が本番台区分からの改造である。
JR東日本ではクハ481-1001→クロハ481-1010→3010・1003→クロハ481-1011・1005→3005・1033→クロハ481-1018・1034→クロハ481-1006→クハ481-3034→クロハ481-3026・1037→3037→クロハ481-3037の5両が方向転換改造を施工した。
2016年4月現在で仙台車両センターA1・A2編成に組成されるモハ485・484-1032・1077の2組4両とクハ481-1015・1016の2両、計6両が車籍を有していたが、2016年6月19日の運用を最後に離脱、2016年8月4日付で廃車された[48]。
モハ485+モハ484 | ||||||
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製造年次 | 配置 | 日立製作所 | 日本車輌 | 東急車輛 | 近畿車輛 | 川崎重工業 |
1976 | 秋田 | 1001 - 1008 1021 - 1024 |
1009 - 1012 | 1013 - 1016 | 1017 - 1020 | |
1978 | 1069 - 1080 | 1042 - 1049 | 1050 - 1053 | |||
青森 | 1038 - 1041 | 1025 - 1030 | 1057 - 1065 | |||
1979 | 1031 - 1037 | 1066 - 1068 | 1054 - 1056 | |||
秋田 | 1081 - 1084 | 1085 - 1088 | ||||
クハ481 | ||||||
製造年次 | 配置 | 日立製作所 | 日本車輌 | 東急車輛 | 近畿車輛 | 川崎重工業 |
1976 | 秋田 | 1001 - 1004 1011・1012 |
1005・1006 | 1007・1008 | 1009・1010 | |
1978 | 1032 - 1037 | 1021 - 1026 | ||||
青森 | 1019・1020 | 1013 -1016 | 1027 -1031 | |||
1979 | 1017・1018 | |||||
秋田 | 1038・1039 | 1040 - 1043 | ||||
サロ481 | ||||||
製造年次 | 配置 | 日立製作所 | 日本車輌 | 東急車輛 | 近畿車輛 | |
1976 | 秋田 | 1001・1002 1006 |
1003 | 1004 | 1005 | |
1979 | 1007・1008 |
489系電車
1969年10月改正で金沢 - 上野間を信越本線経由で結ぶキハ82系気動車特急「はくたか」が電車化されたが、485系は信越本線横川 - 軽井沢間(横軽)の最大66.7 ‰の急勾配区間である碓氷峠を越える対策がなく、この電車化時に上越線経由へ変更された[49]。一方で1972年3月15日国鉄ダイヤ改正では客車急行「白山」が電車特急に格上げされるのに伴って、485系0番台をベースに横軽間にて最大12両編成でEF63と協調運転可能な設備を備えた車両を増備することになり、新系列の489系が1971年に登場した[49]。
横軽間を通過する電車は無動力状態で最大8両編成に制限されていたが、1967年に急行形の165系を元に開発された169系ではEF63との協調運転により最大12両編成で入線可能となった。489系は485系に横軽用協調運転機能を付加した系列で、169系と同様に形式末尾が9となっている[50]。485系の設計変更期と同時期に製造されたため、対応する区分番台が存在している。
電動車・付随車とも新形式が起こされ、1971年にはクハ489形・モハ489形・モハ488形・サロ489形・サシ489形の5形式[50]、1972年にはサハ489形も登場した。各車とも台枠・連結器の強化などの通称「横軽対策」がなされ、この対策を示す「Gマーク」が車両番号の横に表記された[49]。なお、協調運転は不可能となるが485系との混結運転も可能である。
1971年 - 1974年までにTc14組28両・Ts28両・MM'ユニット42組84両・TdならびにTが12両の新製車164両と181系・485系からの改造車4両で12両×14編成計168両が落成。本来の目的である信越特急「白山」「あさま」「そよかぜ」のほか、「雷鳥[注 17]」「しらさぎ」「北越」「はくたか」でも運用された。1978年 - 1979年に編成組成ならびに運用変更の点からサロ489形1000番台10両を追加新造した。
分割民営化時にはJR東日本へ28両、JR西日本へ108両が承継された。新製車174両のほか国鉄時代にサシ181形からの改造車が2両、サハ481形からの改造車が2両、分割民営化後の1990年にJR東日本がサロ481形から2両を改造編入をしたため総車両数は180両であるが、編成組成や用途変更による他形式への改造や廃車があるため全車両が一斉に揃ったことはなく、サシ489形は1988年に、サハ489形は1991年に廃形式となった。
1997年の北陸新幹線長野暫定開業による信越本線横川 - 軽井沢間廃止で存在意義を失った[注 18]ことや老朽化によりJR東日本所属車のうち長野総合車両所配置車は2000年までに廃車となり、保留車であった新潟車両センター配置のサロ489形2両も2010年までに廃車。JR西日本所属車も他系列への置換えで2012年までにほとんどが廃車となり、2014年10月時点では金沢総合車両所配置のクハ489-1のみが車籍を有していたが、2015年2月13日付で廃車となり廃系列となった[51]。
初期型(1971年 - 1972年)
1971年7月に夏期臨時列車への充当目的も兼ね向日町運転所へ同所の485系と共通の11両編成で落成・配置された。1971年秋よりEF63との協調運転テストを行い年末にはスキー臨時列車である「あさま銀嶺」で実戦投入のリハーサルとも言うべき横軽区間での営業運転が行われた。1972年3月改正より信越特急「白山」での運用を開始した。
車体は485系0番台に準じたが、クハ489形偶数向き車はEF63と連結のため自動連結器のカバーを省略し、解放テコが設置された[49]。ジャンパ連結器は485系と共通する編成総括制御用KE70形と別に協調制御用KE76形を増設する方式[注 19]を採用したため付随車も489形の別形式となった。このためクハ489形はクハ481形と異なり片渡りで方向転換ができない構造となり上り方と下り方で番台区分が異なる。
「あさま」「そよかぜ」で運用されていた181系では電気機関車と連結するクハは別形式のクハ180形とされたが、489系では同一形式の番台区分としてクハ489形の奇数向きが0番台、偶数向きが500番台とされた[19]。クハ489形はクハ481形100番台に準じており、MH129-DM88型 MG(容量 210 kVA)[18]を床下に、ボンネット内部に吐出量2950 L/minのMH92B-C3000A型CP[12]を搭載した。偶数向き500番台はクハ180形同様にブレーキホース(BP管)を装着しボンネットの自動連結器が常時剥き出しの状態になるが、連結器カバーの装着は可能である[注 20]。
EF63と連結される上り方のクハ489形は、直通予備ブレーキを設置し抑速発電ブレーキが不能となった場合に動作する抑圧装置を搭載するほか、連結器カバーが省略され運転席下側にEF63との協調制御用KE70形ジャンパ連結器[注 21]を装備する。横軽間での下り列車における前方監視のため、クハ489形奇数向き車の運転台側面に車掌弁を設置した。
主制御器はEF63との協調運転時にカム軸が機関車からの指令により途中停止可能なCS15Gとし、誘導分流器は界磁分流率を変えてEF63とのノッチ合わせを可能としたIC58-MR130に変更した。台車は初期車はDT32A・TR69A形を装着したが、横軽区間での座屈防止のため空気ばねをパンクさせる装置が設けられた[19]。
1972年上期には当初からサハ489形組込で落成した12両編成が「白山」格上げ名義により向日町運転所に配置された。タイフォン設置位置はクハ489-1・2・501・502がスカート部であったが、クハ489 - 3 - 5・503[注 22] - 505はボンネット部に変更された。台車は300番台グループまでDT32E・TR69E形を装着した。
なお、1971年製造2編成分のサハ489形は1972年に1両を新製。「白山」運転開始から8か月経った11月にサハ481形を改造し充当されたが、本グループでは後にCP搭載の追加改造を施工。また、サシ489形は編成数に対して1両製造数が足りないが、サシ181形改造の100番台を充当して対応した。
また、サロ489形・サハ489形は1986年までに他形式への改造種車となった。サシ489形は3・4が1985年以降保留車となったままJR西日本に継承。1988年3月にスシ24 1・2へ改造され廃形式となった。一方でクハ489形とMM'ユニットは全車JR西日本が承継。一部は「能登」をJR東日本へ移管する2010年まで運用された。
形式 | 製造年次 | 予算 | 東急車輛 | 近畿車輛 |
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モハ489+モハ488 | 1971 | 45年第2次債務 | 1 - 3 | 4 - 6 |
1972 | 46年本予算 | 7 - 9 | 10 - 15 | |
クハ489 | 1971 | 45年第2次債務 | 1・501 | 2・502 |
1972 | 46年本予算 | 3・503 | 4・5・504・505 | |
サロ489 | 1971 | 45年第2次債務 | 1・2 | 3・4 |
1972 | 46年本予算 | 5・6 | 7 - 10 | |
サハ489 | 1972 | 46年本予算 | 1・2 | 3・4 |
サシ489 | 1971 | 45年第2次債務 | 1 | 2 |
1972 | 46年本予算 | 3・4 |
中期型(1972年 - 1973年)
485系200番台と同じく先頭車貫通化や冷房装置変更などが実施された1972年下期以降製造のグループである。
クハ489形は下り方が200番台、上り方が600番台に区分された[24]。600番台のCPは0番台車の容量を合わせるため容量2,100 L/minのMH113-C2000[12]を2基搭載としたほか、連結器を密着連結器として解放テコを廃止した[24]。前面ジャンパ連結器は奇数向き車が運転席下側に総括制御用KE70形と編成間協調回線用KE76形・助手席下側にKE9形三相引通、EF63の押し上げと連結する偶数向き車は運転席下側にEF63協調制御用KE70形とKE9形三相引通、助手席下側に総括制御用KE70形と編成間協調回線用KE76形の構成となった。
モハ488形は冷房装置を集中式のAU71形へ変更により乗車定員が8名増加となったため200番台に区分されたが、モハ489形は冷房装置をAU13E型へ変更したのみで続番となったことから、それまで一致していたMM'ユニットの車両番号が不揃いとなった。本グループでは モハ489-16からモハ489-30までと、モハ488-201からモハ488-215までの番号順に組成されたユニット15組(30両)が該当する。付随車はモハ489形同様に冷房装置変更のみのため基本番台からの続番を踏襲するが、サハ489形は初期型でCP搭載改造を施工され車番が +200 された 1 - 4 → 201 - 204に対応して元番号の続番の5-を附番し、新製当初からCPを搭載するほか、1986年までに他形式へ改造された。
1972年下期製造車は向日町運転所へ「白山」2往復化[注 23]と同所の485系との共通予備車名義により11両×3編成で落成配置されたグループである。うちサハ489形1両はサハ481形改造車を、サシ489形1両はサシ181形改造の100番台をそれぞれ充当した。
1973年製造車は「白山」3往復化と間合い運用の「あさま」1往復投入名義で製造された12両×2編成と1972年下期製造車組込用サハ489形2両。1973年3月15日より「白山」運用が移管されたこともあり、本グループより新製配置が金沢運転所に変更された。
向日町所属車は3月15日付で0番台・500番台2編成と200番台・600番台1編成。7月に0番台・500番台2編成と200番台・600番台1編成。9月に200番台・600番台1編成が金沢に転出。11両のままとされた0番台・500番台1編成[注 24]のみ向日町に残存し引続き共通予備車とされたが、翌1974年4月に純増備となる485系[注 25]が配置されたため金沢に転出した。
JR東日本へ継承されたクハ489形は、本グループに属する201 - 203・601 - 603の6両である。JR西日本継承車は、200番台が204・205の廃車で2003年に、600番台が604の廃車で2011年に廃区分番台となった。モハ489形・モハ488形民営化時には全車JR西日本が承継。サハ489形はサロ489形は13がJR西日本へ、14 - 16がJR東日本へ継承された以外は1986年までにサロ110形へ改造された。サシ489形は1986年 - 1987年に全車廃車となったが、民営化後の1989年3月に7が車籍復活と同時にスシ24 507へ改造され寝台特急「北斗星」に転用された。
形式 | 製造年次 | 予算 | 東急車輛 | 近畿車輛 | 日立製作所 |
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モハ489 | 1972 | 47年第1次民有 | 16 - 18 | 19 - 21 | 22 |
1973 | 47年第1次債務 | 23 - 25 | 26 - 30 | ||
モハ488 | 1972 | 47年第1次民有 | 201 - 203 | 204 - 206 | 207 |
1973 | 47年第1次債務 | 208 - 210 | 211 - 215 | ||
クハ489 | 1972 | 47年第1次民有 | 201・601 | 202・602 | 203・603 |
1973 | 47年第1次債務 | 204・604 | 205・605 | ||
サロ489 | 1972 | 47年第1次民有 | 11・12 | 13・14 | |
1973 | 47年第1次債務 | 15・16 | 17 - 20 | ||
サハ489 | 1973 | 47年第1次債務 | 5 | 6 - 8 | |
サシ489 | 1972 | 47年第1次民有 | 5 | 6 | |
1973 | 47年第1次債務 | 7 | 8 |
後期型(1974年 - 1979年)
489系300番台は485系300番台に対応するグループで、1974年から1979年にかけて製造された。1975年3月10日ダイヤ改正で「雷鳥」増発分ならびに「しらさぎ」運用を向日町から金沢運転所へ移管し、485系電車との共通予備車とした。
クハ489形は非貫通型となり、下り方を300番台、上り方を700番台に区分した[25]。空気圧縮機は床下搭載としたことから、助手席(1位側)下部の機器室カバーがない[52]。普通車の座席は簡易リクライニングシートとされた。中間車の車両番号は中期型から続番であるため、MM'ユニットはモハ489-31 + モハ488-216 - モハ489-42 + モハ488-227の12組24両。
クハ489形は全車JR西日本に継承され、300番台は2004年の303廃車で、700番台は2010年9月の702廃車で廃区分番台となった。モハユニットはJR東日本にモハ489-31 + モハ488-216 - モハ489-33 + モハ488-218・モハ489-35 + モハ488-220 - モハ489-40 + モハ488-225、JR西日本にモハ489-34 + モハ488-21・モハ489-41 + モハ488-226・モハ489-42 + モハ488-227が継承された。
サハ489形は1985年に9・11が他形式へ改造、10・12は向日町運転所へ転出しJR西日本に継承されたものの保留車扱いで1991年12月1日付で廃車。サロ489形は21・22・24が1986年にサロ110形へ改造されJR東日本に継承されたほか、23・25 - 28は金沢配置のままJR西日本に継承された。
サシ489形は9が1986年に余剰廃車[注 26]。10 - 12は1978年にサシ481形へ改造されたものの12はサシ489-83として1982年に本形式へ復元。1985年以降は保留車となるが、1987年3月に北長野運転所へ転出しJR東日本へ継承。1988年2月にスシ24 506へ改造された。
形式 | 製造年次 | 予算 | 東急車輛 | 近畿車輛 | 日立製作所 |
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モハ489 | 1974 | 48年第3次民有 | 35 - 37 | 31 - 34 | |
48年第1次債務 | 38 - 40 | ||||
48年第2次債務 | 41・42 | ||||
モハ488 | 48年第3次民有 | 220 - 222 | 216 - 219 | ||
48年第1次債務 | 223 - 225 | ||||
48年第2次債務 | 226・227 | ||||
クハ489 | 48年第3次民有 | 303・703 | 301・302・701・702 | ||
48年第1次債務 | 304・704 | ||||
サロ489 | 48年第3次民有 | 23・24 | 21・22 | ||
48年第1次債務 | 25 - 27 | ||||
48年第2次債務 | 28 | ||||
サハ489 | 48年第3次民有 | 10 | 9 | ||
48年第1次債務 | 11・12 | ||||
サシ489 | 48年第3次民有 | 10 | 9 | ||
48年第1次債務 | 11 | ||||
48年第2次債務 | 12 |
サロ489形1000番台
1978年10月ダイヤ改正では、共通運用となった「白山」「はくたか」は三相回路配電盤搭載のサシ489形とCP搭載のサハ489形が編成から外れることになった。また、編成が7月以降3MG・3CP化を実施した上で暫定6M4T→8M4Tとなることから[注 27]、サロ481形1000番台と同様に210 kVA MGとC2000形CPを搭載した上で協調運転装置を装備するグリーン車として1978年に9両、1979年に1両の計10両新製されたのが本番台区分である。本グループのみ台車はTR69H形を装着する。
車体はサロ481形1000番台に準じたが、MG設置位置はサロ181形1100番台と同様に車体中央部に配置された[53]。489系在来車と編成を組成することから、485系1000番台に装備された制御車からの給電区分変更制御機構はなく、どちらかのクハ489形でMGトラブルが発生した際には手動で給電区分を変更する必要がある。
1004が1988年にMG・CPを撤去しサロ489-101に改造され、それ以外の車両もクロ481形・480形へ改造されたため1991年までに廃区分番台となった。
車両番号 | 製造会社 | 落成日 | 配置 | 改造後車番 | 施工工場 | 施工日 |
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1001 | 東急 | 1978.9.7 | 金沢 | クロ481-2001 | 吹田 | 1989.2.15 |
1002 | 日車 | 1978.7.6 | クロ480-1001 | 1988.2.8 | ||
1003 | クロ481-2003 | 1989.4.6 | ||||
1004 | サロ489-101 | 松任 | 1988.12.17 | |||
1005 | クロ480-1002 | 吹田 | 1988.2.15 | |||
1006 | 東急 | 1979.3.16 | クロ481-2002 | 1989.3.7 | ||
1007 | 日車 | 1978.7.11 | クロ481-2004 | 1991.6.24 | ||
1008 | クロ480-1003 | 1988.2.5 | ||||
1009 | クロ481-2005 | 1991.2.9 | ||||
1010 | クロ480-1004 | 1988.2.5 |
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